貰うべきか、不要だと突っぱねる?
年末に今年3回目の面会交流があった。
交流の日が来ると、私に気を遣ってか、嬉しさを抑えるみいなとあいこの姿を見るのもつらい。子供に必要な権利、でも、お前たちを地獄へ突き落とした本人は、それでもお前たちの父親。会いたいようだ。会うと、「楽しかった」と言って帰ってくる。
行ってらっしゃいと送り出したが、第3者を通じて、「面会中、元祖母に電話で話させないでくれ」と伝えていた。以前も、面会中に元祖母が電話口にいる携帯を、「はい」と渡され、電話口で話したと聞いていたからだ。
以前も述べたが、私はこの元義理母に空気のように扱われ続け、人としての存在そのものを否定され続けてきた。小さな自営業を営むその人は、元夫を溺愛していた。みいなとあいこが生まれた後は態度が180度変わり、私達の自宅に足しげく通い、旅行に誘うなど私を通じて孫たちに関わってきたが、孫たちが直接意思疎通できるようになると私をもとのように空気扱いした。そして、孫たちの「ねえねえ、聞いて・・・」の話は全てスルーし、同年代の内孫の自慢話をして、みいなとあいこの話さえも、すべてつぶしにかかるのだった。どういう人格と表現していいのかわからない、自分にしか興味がない人。
そんな元祖母と話す必要などない、みいなとあいこに、決して会わせない、と調停中からも伝えてきた。現に、遠方に越したいま、わざわざ会いにくることはない。それでも、電話で話すことさえも、嫌悪感しかない。
「みいなとあいこと話したい?嘘をつくな、お前はこの子達に興味がないはず。ただかいわいそうな行き別れた孫に目をかけてやっている自分に酔っているだけだ。」
2日間の面会交流を終え、みいなとあいこが持ち帰ったものの中に、元祖父母、元叔母、叔父、からのお年玉が入っていた。
本音は、「要らない」
99.9%の確率で、この贈り物は数年後自然消滅する。自分本位のあいつらが、自分の満足のために哀れみでくれたお年玉。飽きたら必ず終わる。いや、早漏元夫が再婚して新しい孫が出来たら当然終了だ。
だから、「要らない」
ネットでは、『そうはいっても、祖父母に変わりがないので、もらったら お礼の電話をさせている。』という人もいるようだ。それが常識だとも。
ごめん、私はそんなにできた人間じゃない。
それが「常識」なのはわかっているし、私はほかの知人にはお礼状やお礼の電話をする。離婚後の元義理との付き合い方は、婚姻期間どのような関係であったのか、どんな理由で離婚に至ったか、によるのではないだろうか。
私達を傷つけ、地獄へ突き落とした極悪非道な元夫の親に、お年玉やプレゼントをくれたからと言って、どういい感情をもてというのか?それでもみいなとあいこの祖父母であることに変わりがないというのか?元叔父、叔母も??どこまで?
自分の感情に正直でいよう。お礼は言わない、貰っても嬉しくない、でも、お金は子供たちがもらったものだから、貰っておく。今年で最後かもしれない。
「このお年玉はね、これが最後だと思うから。そのつもりでいなさい。」
とみいなとあいこに伝えるのが精いっぱいだった。
要らない。
私達に善意であっても関わるな。
それは善意ではなく、おまえたちのエゴであることくらい、見抜いているから。