先にあった私の本当の幸せとは
最後のブログを書いてから1年以上。
ここ1年半世界中がコロナ禍にある。
2020年3月に予約していたみいなとあいことのハワイ家族旅行もキャンセルし、いつ行けるのかもわからない状態が続いている。
コロナで学校が休校になった去年と比べると、子供たちの学校生活は、活動に制限があるものの、だいぶ日常に戻ってきつつある。何より、子供たちが生き生きと学校に通っている。
ことしも静かに、元不倫夫が蒸発した日 6月30日が来た。
8歳と7歳だったみいなとあいこは、12歳と11歳になった。
コロナになって良かったこと・・・この元夫がみいなとあいこに会いに来られなくなったことだ。年3回来ていたのが、県をまたぐ移動が制限されたからだ。
それでも、2021年5月、関東が一時緊急事態宣言が解除されたとき、1年半ぶりに面会にやってきた。が、その後は連絡がない。私には喜ばしいことだ。
私はこのコロナ禍でできることを子供たちと楽しんでいる。
宮島へ宿泊したり、海遊びをしたり、舞台を見に行ったり、仲のいい仲間とキャンプを楽しんだり。
ある日、思春期に差し掛かって気難しくなってきたみいなと、じっくり話す機会があった。
みいなは心からこの3人家族を愛し、母である私を愛してくれている。
パパが4年前いなくなった頃は、学校でも思い出しては悲しくなったが、ここ最近は全く考えなくなったと。今の家族が大切で、「いなくなって良かったんだ」と今は思っている、と。
離婚は子供には無関係のところで起こる。原因が何であれ、どちらが有責であれ、こどもたちにどこか寂しい思いをさせているのではないか?その思いを埋めようと、家族との時間を大切にしてきたつもりだ。私は父親にはなれないけれど。
みいなの今の気持ちが、私の望んでいた本当の幸せなのではないか?
4年前に突然奈落の底に突き落とされ始まった地獄。その先にあった私の本当の幸せとは、愛するみいなとあいこが「幸せ」と言う姿だったのではないか。
私はようやく、自分に降りかかった災難、不幸を消化することができた。
スピリチュアルでは、不幸な出来事は、必要な試練、という。
これまで何度も頭で理解しようとしても、つらかった経験から、「それにしても、こんなの無いよ。」と思っていた。
やっと、言える。私が落ちた奈落の底。落ちた理由は、子供たちが心から「幸せ」と感じることだった。
あのまま東京で4人家族だったら、子供たちは何らかの形で不幸になっていたんだろう。
私は地獄の底から這いあがったのではないか?
金銭面で心配なことはある。でも、私は自分の災難の答えを見つけたのだ。
私は今、幸せだ!
さよなら、過去!
新型コロナウイルスの流行で、100年に一度あるかないか、の歴史的な時代に生きることになった私たち。学校は休校になり、職場も交代で休む「帰休」となった。行き場のない子供たちと、自宅待機の私。毎日のスケジュールを立て、晴れの日は子供たちを自転車で連れ出して気分転換した。
GWは、元不倫夫と子供たちの面会交流の予定があったが、さすがに今年は「交流延期」の連絡があった。子どもたちは「ふーん・・・」と言った。
本心はわからない。
学校が再開した6月、自宅待機で一人自宅にいる日があった。だからか、悶々と考え込む時があった。断捨離をしよう、ふと頭に浮かんだのが「日記」。
結婚前の付き合っていた時から続けて書いていた20年まえから続く日記。うれしかったことや苦しかったこと。苦しいときに書くことで私は気持ちの整理をしてきた。そしてこの日記は、不倫女への慰謝料裁判の時や、調停離婚の際の大きな証拠になった。
嫌な思いをするのをわかっていながら、一年に1,2回はこの日記を読み返して、その時の自分の感情にシンクロさせていた。
証拠になった日記には、私は特別の思いがあった。つらいのに、「これのお陰で」と。
ふと思った。
「もう捨てよう。」
指で細かく裂き、ビリビリにして捨てた。
その作業に、自分の過去と決別するような感情が沸いた・・・
最後の塊をごみ箱に捨てる時・・・元不倫夫との時間が、リセットされた気がした。
お盆に面会交流をしたいと言っていたが、それも実現しなかった。
リセットされた気持ちと、心かき乱す面会交流がずっと延期になっていること、
必要な出来事が必要な時に起こる。
その数日後、夢の中で元不倫夫が高所から落下して死にかけているのを見た。死んでいなかったけど、「死んだ!」と思った瞬間の感情がとてもリアルだった。
私は、日記を捨てたことで過去にサヨナラをして歩き始めているのではないか。
もう後ろを振り向くことがないように。
勝利記念日
今日は特別な日。
5回の調停のあと、私が東京から引っ越すこともあり、決着をつけようと望んだ6回目の調停で、私が望む項目を、不倫早漏元夫に、ほぼ丸のみさせて調停離婚が成立した日。
自由になった日?いや、
あれから2年。
私が望んでいたことは、結構叶えてきた。養育費もきちんと、貯蓄できている。
面会交流はうっとおしいし、慰謝料はまだ分割でまだ払い終えていない→ダサい奴。
日常生活でも、嫌な事を思い出し、気分が悪くなることもしょっちゅうある。
私は午後3時前に、オフィスを出て、近くのケーキ屋に入った。正直言ってケーキは好きだけど、食べるより「太りそう」という罪悪感が先に出る私。でも「今日は記念日だからお祝いしないと!」と自分にいい聞かせ、ケーキをひとつ買ってデスクへ戻った。ケーキにパクつく私を同僚は「どうしたの??」と珍しがった。
『だって、記念日だから』・・・
と言いたいのを我慢した。
帰宅してからも、みいなとあいこにもそのことは触れなかった。
聞いてもらいたかったんだけど。
一緒にお祝いしてほしかったんだけど。
いつかみいなとあいこも一緒に、この勝利記念日をお祝いしたい。
またひとつ、叶ったこと
夏が来て、また早漏元夫がある組織を通じて面会交流を申し込んできた。
面会交流があると、情緒不安定になる。子供たちもそれを察してか、数日前から「ママ大好き」など、愛情表現をするようになった。
いつも、面会の時は、先方の元義理親に連絡しないでくれ、とお願いしているが、今回はなんだかどうでもよくなった。奴らが会いたがるのは子供の内だけだ。むこうにも内孫がいるし、みいなとあいこに執着する必要もない。おそらく、みいなとあいこも、成長後、奴らに会いに行くことは無いだろう。
帰宅後、本日の行先だけを訪ねた。それ以上は、興味がなかった。
ただ、手をつないだであろう子供たちの「手」は…汚らわしく感じた。
私は相変わらず願いをかなえるべく、意識して生活している。
ただ一つ、残念でしょうがないことは、一日一度は嫌な事を思い出して自分を苦しめてしまう事。
そんなある日、総務から打診のあった「正社員登用」今まで精いっぱいやってきたことが認められる。求められて改めて履歴書を提出した。一年前今の会社に提出したときの履歴書、そこには、結婚生活で転居と転職を繰り返した事実と、その事情説明、『離婚により・・・』が何度も明記してあった。それをすべて、『家庭の事情により』に修正した。
そうして迎えた、役員との正社員登用面接。晴れて、『10月より正社員採用です。おめでとうございます。』
夜、一人になってふと涙が込み上げてきた。ああ、「いつかなれる」と分かっていても、こうして安定した職を得たことは、私達の生活が安定するという事だ。パートでつないでいた時だって、なんとしても稼いで見せる!と歯を食いしばっていた。
「正社員」・・・これは、かなえたかったことの一つ。また一つ、叶った。
7歳になったあいこを置いて…
子供の誕生日。それは親ならだれもが特別な気持ちになる日。あいこが生まれた2010年6月、みいなと同じく3週間早く陣痛が始まって一晩中苦しみ、翌朝促進剤を使った。上手に生まれてきたあいこ。赤紫色の生まれたてのあいこを昨日のことのように思い出す。あいこはもうすぐ9歳。とても大切な日なのに、自分で思いたくもないのに、このあいこの6月の誕生日が近づくと、心が平静でいられなくなってしまった。
2年前のあいこの誕生日、私達は4人家族だった。
すでに早漏元夫の人格否定攻撃は頻度を増し、何かにつけて突っかかて来ていた。10年前の会話を引っ張り出して「おれはあれが嫌だった」や、週末の出先でさえ、店先で、バスの中で、私の言葉尻をとらえ、「おまえはいつもそうだから嫌なんだよ!!」と牙を剥くような表情で子供たちの前でも私に喧嘩を売った。
しまいに渡された「愛着障害」の本。私は愛着障害だと言われ、反論できない悲しい過去を持つ私は自分を責め初め、どんどん早漏元夫の卑劣な罠にはまっていった。
6月、あいこの誕生日、4人家族でお祝いした。プレゼントを受け取り満面の笑みの7歳のあいこ。Happy Birthdayソングを歌うビデオをとっていた元夫を私ははっきりと覚えている。
その2週間後、早漏不倫元夫は突如私達の前から消えた。
だからこの6月が、私にとって、いや、私達家族にとって、なんとも表現しがたい時期になった。あいこの誕生日を祝いたいのに、もう純粋な気持ちで祝えなくなった。
あいこの大切な誕生日は、忌々しい醜元夫にされた人格否定と、突然蒸発されたことで一気に奈落の底に突き落とされた地獄の日々を耐え忍んだ気持ちと紐づいてしまった。
たった2年前、どんなに自分の気持ちに蓋をしたって、消せる記憶でもなく。
笑えるほどの月日は経っていない。
私は以前のように、純粋にあいこの誕生を思い出し、感動し、感謝したい、それだけに胸がいっぱいになる日、に戻したい。
そして、私たち家族を、私を苦しめ、貶め、離婚した後も、こうして私の大切な記憶でさえ汚す元夫を決して許すことはできない。
あいこ自身はどうだろうか?自分の7歳の誕生日の後、突如消えた父親。
私があいこの誕生日を心をかき乱されず祝える日はいつくるのだろうか。
〇イチ一周年記念
三月某日。私の人生がリセットされた日。生まれ変わった日。それは離婚した日。
リセット記念日。
一年前の自分を数日前から思い出していた。
たった一年前のこと。
自分で見つけたフルタイムの仕事。それがあったから地元に戻ってこれた。
引っ越し難民の一人として必死で業者を探し、40万円もかかった引越し。
転校は終業式まで伏せ、人目を避けるように、誰にも挨拶できず高速バスで東京を去った日。もう二度と足を踏み入れることは無い、と。
戻ってから新生活への準備、氏名の変更、子供たちの氏の変更等に奔走した日々。
忙しかったけれど、私の心は心機一転・・・でも本心はボロボロだった。
あれから一年。仕事を通じて再会した、人生の大先輩、あるマスコミの女性に言われた「ちなつさん、バツイチじゃないわよ、マルイチ 〇イチだからね!」に共感した。
そうか、私は私達を見下し、コケにし、傷つけたクズ男と離れることが出来たのだ。これは「〇」=正解、ではないか。
一年前と比べて、私は随分精神的に元気になっている。そう、再出発出来ている。
一年前に戸籍上も子供たちの未来を一手に背負った私、一年前より、覚悟が出来ている。10年後の大学費用の試算を始めたり、中古マンションを手に入れられないか実際探してみたり・・・
一年前4月から始めた仕事も、恵まれず、必死にしがみつきながら他を探した日、なんとか転職したもののやることがなくなり、また話が違う・・・と思ったとき起こった西日本豪雨で出勤できなくなった日々。それでもつかんだ前職を生かせる今の職場。
仕事の大変さはあるが、仕事に恵まれ、人に恵まれ、時には私との再会を喜ぶ人を避けるようにしながらも、小学校では執行部に入った。
リセットしたんだ、縁を大切にしよう。
嫌な出来事を思い出しても、その頃の気持ちと同じレベルに引き戻されることは無くなった。嫌な出来事は、いまでも嫌な思い出のままだ。
ショッピングモールで子供連れの家族を見ると、いたたまれなかった一年前の私。
今は、「親子ごっこしているけど、それは本心かな??明日は「家族」が壊れるかもしれないよ・・・」と、俯瞰で見ることが出来るようになった。これは穿った見方かもしれないが、誰にだって、「明日は何が起こるかわからない」のだ。
私は確実に、立ち直っている。まだ、途中だけれど。
一年以上前に書いた、願い事リストをチェックしてみた。
*慰謝料総額400万円以上勝ち取ること。⇒実現
*地元に戻ること。⇒実現
*子供たちと三人で仲良く暮らしていること。⇒実現
*前職のホテルに戻ること。⇒実現
*新しい友達を作ること。⇒実現
*中古マンションを買う事 ⇒検討中
*英検一級に合格すること ⇒・・・実現!
願いは叶っている!
それは、願ったこと、だから自分が動いたこと、自分が引き寄せたこと。
一番、または二番目に困難と思っていた英検一級に合格すること、については
本当にうれしく、号泣した。
〇イチとして、覚悟を決めた私は、この一年で、たくさんの願いを実現してきた。
〇イチ2周年、3周年には、完全に立ち直った、と言えるように進むだけ。このブログを始めたきっかけは、奈落の底にいた自分の立ち直る記録を付けるため。だから3周年をゴール設定して、ブログを続けていこう。
貰うべきか、不要だと突っぱねる?
年末に今年3回目の面会交流があった。
交流の日が来ると、私に気を遣ってか、嬉しさを抑えるみいなとあいこの姿を見るのもつらい。子供に必要な権利、でも、お前たちを地獄へ突き落とした本人は、それでもお前たちの父親。会いたいようだ。会うと、「楽しかった」と言って帰ってくる。
行ってらっしゃいと送り出したが、第3者を通じて、「面会中、元祖母に電話で話させないでくれ」と伝えていた。以前も、面会中に元祖母が電話口にいる携帯を、「はい」と渡され、電話口で話したと聞いていたからだ。
以前も述べたが、私はこの元義理母に空気のように扱われ続け、人としての存在そのものを否定され続けてきた。小さな自営業を営むその人は、元夫を溺愛していた。みいなとあいこが生まれた後は態度が180度変わり、私達の自宅に足しげく通い、旅行に誘うなど私を通じて孫たちに関わってきたが、孫たちが直接意思疎通できるようになると私をもとのように空気扱いした。そして、孫たちの「ねえねえ、聞いて・・・」の話は全てスルーし、同年代の内孫の自慢話をして、みいなとあいこの話さえも、すべてつぶしにかかるのだった。どういう人格と表現していいのかわからない、自分にしか興味がない人。
そんな元祖母と話す必要などない、みいなとあいこに、決して会わせない、と調停中からも伝えてきた。現に、遠方に越したいま、わざわざ会いにくることはない。それでも、電話で話すことさえも、嫌悪感しかない。
「みいなとあいこと話したい?嘘をつくな、お前はこの子達に興味がないはず。ただかいわいそうな行き別れた孫に目をかけてやっている自分に酔っているだけだ。」
2日間の面会交流を終え、みいなとあいこが持ち帰ったものの中に、元祖父母、元叔母、叔父、からのお年玉が入っていた。
本音は、「要らない」
99.9%の確率で、この贈り物は数年後自然消滅する。自分本位のあいつらが、自分の満足のために哀れみでくれたお年玉。飽きたら必ず終わる。いや、早漏元夫が再婚して新しい孫が出来たら当然終了だ。
だから、「要らない」
ネットでは、『そうはいっても、祖父母に変わりがないので、もらったら お礼の電話をさせている。』という人もいるようだ。それが常識だとも。
ごめん、私はそんなにできた人間じゃない。
それが「常識」なのはわかっているし、私はほかの知人にはお礼状やお礼の電話をする。離婚後の元義理との付き合い方は、婚姻期間どのような関係であったのか、どんな理由で離婚に至ったか、によるのではないだろうか。
私達を傷つけ、地獄へ突き落とした極悪非道な元夫の親に、お年玉やプレゼントをくれたからと言って、どういい感情をもてというのか?それでもみいなとあいこの祖父母であることに変わりがないというのか?元叔父、叔母も??どこまで?
自分の感情に正直でいよう。お礼は言わない、貰っても嬉しくない、でも、お金は子供たちがもらったものだから、貰っておく。今年で最後かもしれない。
「このお年玉はね、これが最後だと思うから。そのつもりでいなさい。」
とみいなとあいこに伝えるのが精いっぱいだった。
要らない。
私達に善意であっても関わるな。
それは善意ではなく、おまえたちのエゴであることくらい、見抜いているから。