生活費いやがらせと通知書‐パートⅡ
生活費(別居中の婚姻費用)について、13万円と主張した夫に対し、円満調停とあわせて婚姻費用増額調停を申し立てている。大ウソつき夫の言う年収なんぞ信頼できず、もっともらってもいいはずだ。その審判をしてもらうための調停があと2週間後に迫っていたある日、またしても、弁護士さえも、神経を疑うような主張のFAXが届いた。
調停期日前にもかかわらず、勝手に婚姻費用を12万円と決めつけ、そこから、夫の口座から引き落とされた光熱費関連を差し引き、残金を9月分生活費として振り込むからよろしく、というものだった。払うのはいいが、
調停前に、勝手に12万と決めるな!それを話し合うための調停なのに!
〇月分ガス代、〇月分水道代、〇月分ネット代・・・・
6つの項目のうち3つが、すでに口座変更が済み、私の口座から引き落とされているものだった!しかもそのうち1つは、自分が7月に「共同預金からおろしました」と言っていたものだ。
光熱費の2重取り
期日前のこのような主張はルール違反である!
I弁護士もT弁護士も、「こんな主張してくる弁護士、見たことない!!」とあきれて怒りを通り越し、ひとこと、
「こんなことして、自分のクライアントが不利になること、わからないかなー。下手だなー!」
といった。
調停当日、子の面会調停についても話し合うのに、こんなルール違反をし、一方的に通知してくれば、子の監護者である私は恨みつらみしか残らず、ますます「子供を会わせたくない」となる。
子の福祉、といえども、私には『こんな嫌がらせを私たちにしてくる夫に、娘たちを会わせる必要があるのか??』と思い始めていた。
そりゃそうだ、弁護士が言う通り、こんなことして、むこうに不利なことばかりして、何がしたいんだ?と。
非情に怒りを感じたが、あえて冷静に、すべてを証拠として調停に持ち込むこととした。
ルール違反だ、とクライアントである夫にアドバイスできない言いなりの弁護士。
これをすると、心象が悪くなることを夫にアドバイスできない言いなりの弁護士。
その弁護士は、宣伝に多くのお金をかけている大手の派手な弁護士事務所の2年目若い弁護士だ。
弁護士の良しあしで、判決は大きく変わるというが、すでにかなり不利なことをした夫にぴったりの…弁護士だった。いや、勝ち目のほとんどない、こんな不利なクライアントを持つ弁護士がかわいそうにも思えてきた。
その夜、私の心を読んだかのようにみいなとあいこが言った。
「ねえ、ママ、広島帰ったらさ、前の職場に戻るんだよね?会社の近くにアパート借りるんだよね?私達さ、もう4年生と2年生になっているからさ、お留守番できるし、ちょっと遅くまでお仕事しても、大丈夫だよ。一杯働いてお金貰ったほうがいいもんね!」
ずっと保育園のお迎えがあったから、仕事では残業せず、自分を犠牲にして家族に尽くしてきた私…
「残業してもいいよ、お金貰ったほうがいいもんね・・・」
私は、手取りの約半分を家賃に持っていかれるという厳しい生活費の中、こどもたちと『節約』を合言葉に、慎ましく、でも、にぎやかに暮らしていた。
大丈夫、わたしには子供たちがいる。
3人でお山
夫がが突如姿を消して2か月が過ぎた。
まだまだ「今日パパは?」と言われるのが嫌で、近所、保育園の友達ママには顔を合わせられないでいる。夫は、『イクメン、よき父、夫』を演じるのが上手かったから。 私もその演技に騙されていたくらいだから。
誰ともLINEをせず、お誘いがあっても「またね」と。
小学校の土曜授業参観も、みいなとあいこにはかわいそうだけれど、行かなかった。 いや、行けなかった。
私たち夫婦は、出かけるのが好きだった。子供たちを必ず公園や、レジャー連れて行っていた。特に夫が子供たちが赤ちゃんの頃から連れて行っていたのは、山だった。
あかちゃんを背負って登れる背負子にお座りができるようになったころからみいなとあいこをのせ、神奈川や埼玉、広島でもハイキングに出かけた。子供たちを背負って登ると、いろんな人が声をかけてくれる、『大変だけど、いいね、頑張ってね』
夫はそれが誇らしかった。
【夫が愛用していた背負子でご機嫌♬2歳のあいこ】
みいなとあいこがしっかり歩けるようになってからは、歩ける距離を長くし、大人でも疲れた!というような山でも連れていき、子供たちと楽しみながら健脚を鍛えた。
正月登山、春山、GW、紅葉…みいなもあいこも、季節ごとに「パパにお山に連れて行ってもらう」のを楽しみにしていた。私も夫の趣味に合わせ、早朝からの弁当作りなど、この家族のイベントを大切にしていた。
【家族を捨てて出ていく2か月前に出かけた最後の山。この時、これが家族で出かける最後だとわかっていたのは夫だけだった。】
夫は勝手に家族を捨てて出て行った。理由が私の人格に問題があるとか、愛着障害だとか、本当は不倫しているのを隠すためだとか、広島から出るとき私のすべてを奪って丸裸にして裏切ったとか・・・もう、どうでもよくなっていた。理由は何でもいい、
私自身、何一つ間違ったことはしていない。その事実だけで十分だった。
だけど、夫がいたから経験できたことも多い。その一つが「お山」だ。
夫が消えたのは事実。もうどうしようもできない。でも、私はそれによって子供たちの将来が閉ざされたり、世界が狭まるのは絶対に避けたかった。そうなってしまうと、逃げたもん勝ち、捨てられて惨め、になってしまうから。
みいなとあいこには、今まで考えていた通りの色々な経験をさせてあげたい。
私は夫が残していった関東のハイキングの本を片手に、もう片手にスマホをもち、埼玉県飯能市のとある駅にみいなとあいこと降り立った。
山など一人で登ったこともない。
でも、連れて行ってやりたい、それだけだった。
2時間ほどなだらかな丘陵を歩き、展望台、そして、お目当てのムーミンをイメージしたこども園に到着。きのこの家と称した子供の遊び場で、夢中になって他の子供たちと遊ぶみいなとあいこ。お弁当を後回しにして遊んだ。
おにぎりを食べ、別の建物に入るとき、みいなが言った。
『ママ、3人で楽しいね♪』
嬉しかった。
パパがいなくても、ママが慣れない山に頑張って連れて行ったこと、わかってくれたのかな。
帰りも、『楽しかったね』とみいなとあいこと口々に言いながら帰った。
その日の夜、久しぶりに泣いた。
なんの涙だろう。
生活費いやがらせと通知書
第一回目の調停は9月末。裁判所に申し立ててから約2か月。長く長く、それは苦しい日々だ。
早く決着して広島に帰りたい…
そればかり毎日考え、祈り、街を歩くとき、そっと目を閉じてはその風がまるで広島にいるかのように妄想し、精神の均衡をとっていた。
そうでもしなければ・・・夫は家族を捨てた自責の念などなく、すべての責任を私のせいにし、のうのうと、のびのびと、お金を自由に使い、早漏だけど女と遊んでいる!と恨み言のほうへ引っ張られてしまうから・・・
妄想しなければ、やっていけなかった。
夫が突如逃げ出してから2回目の給料日が来た。
「やっぱり、生活費を振り込んでこなかった。」
当初双方で決めていたのは、初月14万、その後13万だった。
その13万円でさえ、振り込んでこなくなった!
私は、大丈夫、家賃の先払いはしているし、贅沢しなければ、給料の半分を家賃に持っていかれても、なんとかなるだろう・・・ でも、
許せない!
その直後、夫弁護士よりFAXが届いた。子供の面会を求める要望書だったが、それはそれは世間の人が見たら「バカじゃないの!?」という勝手な要望だった。
- 年間100日程度(具体的には、隔週の土日連日、平日の夜に1~2日、および年に数回の長期休暇に3日以上の連泊
- 夫と子らだけでの面会交流
- 旅行連れ出しの自由
- 子らが、私を介さず直接夫と連絡できる手段の確保 子ども携帯など
- 交流とは別に、子らの学校行事等の参加の自由
そして最後に、初回期日前の9月2日、土曜日、午前9時~午後8時を面会希望とするので私の意向を聞いてくれ、というものだった。
I弁護士は、面会交流100日を見て、一言。
「じゃあ一緒に住めよ!」っつー話だ!
これには心当たりがあった。GW前に、様子がおかしかったので話し合ったとき、「GW中にアパートでも探そうかと思っている。」と言ったので、驚いて、そんなことしないでほしい、となんとか思いとどまるよう話、合意した。(と思っていたのは私だけだったようだが。)
その際、別居しても、アメリカの離婚した友人夫婦の所の子供たちのように、隔週双方の家に行き、交流しているのを知り、「アメリカ式」で「あんな風にできたらいい」とボソッと言っていたのだ。
それよりも、I弁護士が怒っていたのは、こちらが起こした円満調停に対し、何の回答もこちらへせず、(離婚の別居なのか、距離を置きたい別居なのか、それとも戻る意思があるのか等)ただ要望だけ言われても困る!ということだった。それに、子の面会交流調停を起こしてルール決めするまで子供たちに会わせない、と通達してから約1か月、夫は私からの調停申し立て通知がくるまで、何のアクションも起こしていなかった。この要望書が来た時も、子の面会交流調停を起こしていなかった。
私の意向を聞くまでもなく、I弁護士はぴしゃりとこの要望書に即日回答した。
突然に別居に至った理由(妻子は夫に「捨てられた」との認識です)及び今後の方向性が定まらないままでの面会交流の実施は,未成年者の福祉にも反します。
この通知書。
子の面会と引き換えに、生活費をストップしたのだ。
もう、卑劣、卑怯、非情、悪魔・・・ありとあらゆる最低の形容詞が並ぶ。
その日の朝まで、何かあったら助けてくれると思っていた人は、6月30日、私を背後からナイフで八つ裂きにした。
こんな人だったんだ、私が夫に選んだ人は。
愛しいみいなとあいこの大好きなパパは。
ここでいつも涙を流していた私はもう居なかった。
あきらめの境地。受け入れなければ、前に進めなかったから。
3年前の不倫ー再構築
再構築・・・
不倫発覚前に、一度訪ねたカウンセリングルーム。
初めて行ったときは、離れて行った夫の気持ちを取り戻したくて、自分を変えれば夫が私を見てくれるかもしれない・・・と思って、藁をもすがる思いで一人で行ったっけ…。
その時先生は、『旦那さんを誘って一緒に行こうと言ってみてください。』と私に言った。
その直後に不倫が発覚するなんてその時は思いもしなかった。
だって、夫が私を責めたて、私の性格がすべて悪く、母としても妻としても人間としても失格だ!と追い詰めていたから。
そのカウンセリングルームに、夫と次に一緒に出掛けた時は、不倫が発覚し、夫が再構築を誓った時だった。二人で通うことにした。
場所は平和公園を川向うに臨む、川沿いのビルの6F。
大学の心理学の先生も兼任するカウンセラーとの90分のセッション。
カウンセラーは毎回、『〇〇の時はどのようにあなたはだんなさんに伝えますか?』や、過去のエピソードを上手に聞き出して、その時のお互いの言ったことと、その真意を丁寧に思い出し、「それは〇〇のつもりで言ったけど、相手にはXXと伝わっていた。」といった、『ボタンの掛け違い』を探していく作業だった。
私も夫も、日ごろきちんと気持ちを伝えられていないことを認識し、本当は思いあっていたことを確認し、言葉で伝えることの大切さ、日ごろの感謝、伝え方の工夫、など、気づくことがたくさんあった。
90分15000円。
毎月きちんと通った。その前後にランチデートをし、毎月欠かさず・・・
二人とも、カウンセリングを大切に思っていた。
毎月行くこと、その前のランチ&ストレッチマッサージに通うことが楽しみになっていた。カウンセリングが終わると、ますます仲が良くなった気がした。
カウンセリングに通いながら、私たちは保育園を通じたパパ友ママ友仲間ができ、共通の趣味やアクティビティを企画して絆を深めた。本当に楽しく、時には毎週末顔を合わせて遊びに行くような時もあった。
- キャンプ
- 毎月の持ち回りホームパーティー
- 泊りがけのバスツアー
- スキー
- ハイキング
- リレーマラソン
- 野球観戦
- 梨狩り
- 海水浴
- そうめん流し
- 貸会場での忘年会
- BBQ
- 花見
楽しくて楽しくて…子供たちは同級生なのでもちろんのこと、大人同士が仲が良かった。同じような価値観を持ち、酒好きの夫にぴったりの酒豪たちがそろっていた。最高の仲間だった。
そんな最高の仲間に囲まれ、私たち夫婦も毎週楽しく、同時に人知れずカウンセリングに通った。
東京へ転居するときまで、約2年間通った。
そして、東京へ行っても、続けられるよう、関連のカウンセリングを紹介してもらった。
東京へ転居して2か月ほどした12月、夫にカウンセリングに行ってみないか、と誘った。
「もういいよ。」
私は別の時期に2回ほど誘ったが、夫は「ええ?おれは必要ないと思う。」
だった。
今思えば、「僕たちはもう絆がしっかりしているから必要ないよ。」ではなく、「ちなつとはもうどうでもいいから、必要がない。」という雰囲気だったな。
「?」と思ったのにな、
もう人生最悪の日のカウントダウンは、夫がそのスイッチをだいぶ前から押していたんだ。
夫が言えない真実
何も相談もないまま、突如出て行った夫。
出ていく一週間前、様子が変で、思い切って話し合ったときには、
「ちなつへの気持ちが、4月のちなつのプチ家出以来、OFFになった」と言っていた夫。
その時本当のことが言えなくてごめんさない、と、私宛のメールに書いてあった。
これは真っ赤な嘘だ。
『ちなつがあの時XXって言ったから、おれはそれ以来XXになったんだ!』という思考回路は、前回の不倫同様、自らの疚しさを隠すための、私を責める「モラハラ夫」の常套手段だった。
現に、3月のボーナスを隠していた。
ネットで調べても、普通は、「好きな人がいる、別居してほしい」や、「別に好きな人が出来たから、離婚してほしい」と行ってから出ていく。
それをせず、「感情的になったちなつと話すことが出来ないから、出ていくしかなかった。こうするしかなかったんだ」と言い訳する夫。
「本当のことを言うと、ちなつが感情的になって怒る。」
では、本当の事とは・・・?
言わずもがな、『不倫しているから』
ネットで検索すると、いくらでも出てくる。
「突然別居」と調べると、
-
夫(旦那)から別居を切り出された方。男性からそのような事を切り出すって事は、 大抵の場合女性問題が絡んでいると思ってください。
-
突然、別居した夫。
居場所すら教えないってこと、おかしいと踏んでください。どんなに夫が上手い事言っても(音信不通が多く、ほんとの本当に事務的なことのみメール、ラインがくるだけが多いですが)、妻に知られたくない事実が隠されているのは明らかです。
だから知られてないだろうと高をくくっている場所から、メールやラインなどで「早く離婚しろ」だとかなどと意思表示をしてくる輩ばかりです。横で女も旗振っているわけですから、いい気なもんです。
世の中、自分たちの思う通りに生きていけると勘違いもいいとこ。 -
『前から思っていたけど、もうお前とは一緒に居られない…』
夫からの突然の離婚宣言で、頭の中がパニックになってしまって、何も考えられない状態になってしまっている。こういったことは良くある話のようです。
ある調査会社で調べたところ、何と突然離婚を言い出した旦那さんの裏には、
8割以上の男性に浮気相手の存在があったそうです。 -
不倫が原因の別居の特徴
『もうこの家を出て行く❕』といって、ろくな話し合いもせず出て行った場合、
不倫相手と一緒になるための場合が多いです。中でも、相手側が実は不倫相手にのめりこんでしまい、
なんとか貴方と離婚をしようとしと考えている人は、とにかく離婚の理由を相手のせいにしたり、無理やり夫婦関係を悪化させて離婚に持ち込もうと考えている人もいます。
この様な強引な方法で離婚を行おうとしている人の大半は、
不倫の事実が発覚すれば離婚請求が認められない事を知っていますし、
慰謝料請求をされると相当高額の慰謝料を請求される可能性を恐れています。 - 急な別居には注意 もしも急な別居を言い渡され、突然を家を出て行ったら……突然のことに、多くの人が唖然とするでしょう。また、自分のどこが悪かったのか考え、相手に謝ろうと思うかもしれません。所が、こうして何の原因もなく別居するパターンでは、実はその裏に別の異性が存在することも多いのです。
どれもこれも、夫に見事にあてはまる。
★出て行って、数週間、居場所も教えなかった夫。
一方的にLINEで『離婚届は用意出来次第送るから。ちなつも8月は引っ越しで忙しいと思うから、話し合いはゆっくりでいいよ。』とやさしさ?を振りかざしてあほを抜かしている夫。
★とにかく別居、離婚の理由を私の人格のせい(感情的になったちなつが怖くて話し合いができなかった)と周囲にも触れ回る。
★急に出て行かれた私は、夫のモラハラに洗脳されたまま、しばらくは、『私のせいで、子供たちのパパを奪ってしまった。ごめんなさい、』
『俺たちに必要だったのはカップルカウンセリングじゃなくて、ちなつの愛着障害のカウンセリングだったね・・・俺は専門家じゃなかった。早く気づいてあげればよかった・・・』などの夫のから言葉に余計自分を責め、LINEで謝罪していた・・・
私を、幼少期のつらい体験に基づく『愛着障害』だから性格が歪んでいる。とレッテルを張り、自分のやましさを隠すために私の人格否定(モラハラ)をしていた夫。
私が他に確信を持った理由は2つある、
①ワイングラス
頂きもののバカラのワイングラス。一度たりとも家でワインを飲んだこともないビール党の夫が、出ていく2日前に、「あのワイングラスはどこに行った?」と聞いたのだ。もらって一度たりとも、使おうなんて言ったこともないのに!
『誰か一緒にワインを飲む人がいる』
②返送荷物が入っていたURBAN RESEARCH の紙袋
夫が間違えて持ち出した私の靴。
ある日、宅急便で返送されてきた。このときは言っていたのは、あるアパレルブランドの紙袋だった。初めて見たそのブランドを調べると、夫の趣味では全くない。夫と出かけていても、その店に一度たりとも入ったことは無い。不倫女が見えない妻の私にアピールするため、『この袋使って♡』と言ったのかどうかわからないが、夫宅に持ち込んだに違いない。
みいな、あいこ、もう少しわかるようになったら、ママとパパについて語ろう。
パパの悪口ではない、パパの真実を。
心の変化‐葛藤期
岡野あつこさんによると・・・
第3段階 葛藤期
パートナーの心はもう自分を見ていないという現実を受け入れようとしたり、受け入れまいとしたり、といった葛藤を繰り返す。また修復の可能性に賭ける。パートナーとの歴史を振り返りあの時はよかった、などと考えたりもするが、少しずつ今の状況に慣れてあきらめの気持ちも湧いてくる。
夫のアパートへ夜行ってみて、インターホンを鳴らした瞬間に明かりが消えた時から、
私は少しずつ現実を受け入れようとしていた。
でも、毎日、どこかで、「あいつは何をしているのか」「女とセックスしているんだろうな」と考えることもあった。
「早漏のくせに」
騙され、恨めしく、憎かった。
仕方がない、出会ってからを含めると、17年も一緒にいたのだ。
引越しをし、狭い部屋での娘たちとのにぎやかな3人暮らし。贅沢はできないけれど、手料理を一生懸命食べるいとおしい娘たち・・・4つそろった食器も、椅子も、ランチョンマットも、3つで使うことも慣れてきた。娘たちは、パパがいない生活を、とっくに受け入れていた。
週末娘たちと出かければ、パパ連れの子供たちを見る。
1か月前は、胸が締め付けられ、『ついこないだまでは、みいなもあいこも、こうしてパパと出かけていたのに・・・なぜ?!』と、現実を受け入れられなかった。
今は、冷静に、そのパパたちの子供との接し方を観察できるようになった。
どのパパも、とても子供たちに愛情をもって接している。あたりまえだけど・・・
図書館で、子供に本を読んであげるパパ、一緒に本を探しているパパ、とことん付き合っている。
プールでは、ずっと子供たちと一緒に、泳ぎの練習をしたり、浮輪で遊んだりしている。
思い出してみれば、夫は、このパパたちのように、娘たちと出かけることはあっても、とことん付き合うことをしていなかった。
図書館へいけば、自分は常にスマホをいじる。
プールなど、私が誘わなければ行くとは言わない。自分の買い物に突き合わせるほうが多かった。
客観的に夫の接し方を思い出すと、巷のパパたちと比べて、真剣に子供たちと向き合っていなかった事に気づいた。
常に、自分のことばかりだった。
外面が良く、イクメンであることを自慢していたから、周囲は気づかなかっただけ。
私も含めて。
私に悪いところがあるならば・・・
夫選びに失敗したことだ。
私からすべてを奪った夫
広島に来るときに、リモート勤務をさせてくれた外資系会社で、広島に事務所をかまえ、勤め始めて4年。世界を相手に(笑)仕事をしているという自負を満たす仕事は、それなりにストレスフルであったようだ。出張は多く、月1回は1週間~10日、東京や中国。広島へ転居した5年前は子供も1,2歳だったから、出張中のワンオペの育児はそれは大変だった。
出張時に不倫していたのも事実。
思い越せばおととしの7月。
夫は突然、転職したいと言い出した。
理由は、外資の仕事がきつかったこと、それと、『出張が多く、ちなつを心配させたくないから。もう出張の少ない仕事にすれば、ちなつも信用してくれるかと思って』
私に不倫の嫌な思いを思い出させないために、その当時の会社から転職する。
夫がそのつもりなら、腹を決めたなら、いいよと言った。
転職ばかり繰りかえす夫。7回目の転職だった。
夫は会社を辞め、広島地場の自動車関係の会社に就職した。
それはそれは期待されて、給料こそ下がるものの、3年我慢すれば年収が戻る、と期待され入社。車通勤を楽しみたいという夫のわがままを聞き、MINIを新車で購入。マンションのローンと、車のローンを背負うことになった・・・外車を購入することについて私は気が乗らなかったが、「夫が楽しく通勤できるなら」と、承諾した。
家族ぐるみの付き合いのある家族とのホームパーティーでは、「おれは広島に骨をうずめるんだ、皆、よろしく!」と豪語して。
地元出身の仲間たちは、応援してくれた。
しかし1年後の去年の今頃、夫はこの会社を退職し、『東京へ帰ろうと思う。』と言い出した。
東京の外資系で働きたい。と。
私には二者択一を与えらえた。
1.このまま広島にのこり、夫だけ単身で東京へ行く。
2.家族みんなで東京へ引っ越す。
せっかく手に入れたマンション、手放すなんて出来ない・・・仕事も充実している・・・でも、また夫と離れたら、このまま離れてしまうかもしれない。しかも、娘たちはパパが必要な年齢だ・・・
悩んだが、一緒に東京へ行くと言った。家族は一緒のほうがいいと思ったから。
条件として、私たちを結婚前から知る、長野のK夫婦を訪ね、自分の決意を報告してきてほしい、と言った。
今手にあるものをすべて捨てて夫についていくなら、それなりの決意を、そのK夫婦のまえで宣言し、誓ってほしいと思ったからだ。
夫は約束通り、9月のある連休に長野を訪ねた。
決意をしても、やっと手に入れたマンションを手放すことの悲しさ、仕事を辞める悔しさ、友達と別れることになる娘たちの悲しみはある。
ある日、夫に言った。
『仲良しの家族と離れ離れになるのは、嫌だよ・・・ずっと楽しいことばかりしてきたのに・・・』
夫は冷たく言い放った。
『いつまでも続く関係じゃないんだ。子供を通じた友人関係なんて、いつか離れるんだ。』
最高潮を迎えていた家族ぐるみの仲間たち、こんなところで離れ離れになるなんて・・・冷たいことをいうなあ、と思った。
もう一つ。
私は8月には、翌年1月から勤務できるホテルの仕事の内定が出たのだ。Skypeだけの面接で、一発で決まったことに、私がほめてほしくて誇らしげに夫に報告すると、
「あんまり嬉しそうじゃなかったのだ。」
「向こうに引っ越してから、ゆっくり探せばいいのに・・・」
保育園も入れるかわからないのに、内定取らずに保育園探しなんて不安で仕方がない。
それで内定を勝ち取った私はうれしかったのに、夫は、今思えば、
「嬉しそうじゃなかった」
後の祭りだが、①私が東京に付いてくと言ったこと。は想定外だったのだ。
一人で東京へ行き、好き放題して、不倫し、『ちなつが東京へ着いてきてくれなかったから俺の気持ちが離れたんだ。』とでも言って私を責めて、いずれにせよ、私と離婚するつもりだったのだ。
何も知らず、家族の幸せだけを考えていた私は、結果として、
①マンション
②車
③仕事
④友達関係
このすべてを夫に奪われ、味方の誰もいないところで、裏切られ、捨てられたのだ。
もしあの時広島にいれば・・・マンションは手放したかもしれないが、少なくとも、大切な友人関係、やりがいのあった仕事は手に残っていた・・・子供たちも、転校せずに良かったのに。
夫はそれを家族に感謝もせず、無責任に出て行った。
私は何一つ、悪いことはしていない。娘たちもだ。その私からすべてを奪い、東京へ連れていき、どうしようもない状況で裏切って捨てる、初めから、そのつもりだったのだ。
すべてを失った私。
遠く離れた東京で。
それが許せないのだ!!
絶対に身ぐるみはがすまで戦う!
娘たちの将来のために、取れるだけのお金を取って、最高の形で離婚しよう!
パパとママがそろった家庭で子供たちを育てたいという私の願い。
12年間尽くしてきた努力、情、すべてを踏みにじった。
こんな夫は いらない。