あいこの本音
子供にパパとの面会を中止したあと、私は子供の心の変化を見逃さないように、何度も声をかけた。
「パパに会いたいよね、電話してもいいよ。」
「会いたくてさみしくなったら、ママに気を遣わなくていいから、正直な気持ちをママに話してね、会いたいよね、大好きだもんね。おねがい、本当の気持ちを言ってね。」
自分はズタボロで、毎日泣いている。
でも、娘たちは一見平気そうだけれど、小さな心に傷を負った。
そこをフォローしなければ・・・ととても気を遣った。
感情豊かなみいなは、よく気持ちを話してくれた。
パパにも電話していた。
一方、あいこは、みいなが『パパがあいこと話したいって言ってるよ。』と電話を渡そうとしても、決して電話に出なかった。
「勝手に出て行ったんだもん。」
7歳、小学校1年生のあいこはそう理由を言った。
内心、私の気持ちを汲んで、そういっているのかな。とはわかっていた。
ある夜、寝る前、あいこに聞いた。
「あいこ、ママがパパとの約束、中止にしたこと、怒ってない?」
あいこがこくりと頷いた。
胸が締め付けられた。
あまり気持ちを表現しないあいこ。やっぱり、パパに会いたいよね・・・
最大の被害者は子供・・・
これは、私自身、両親の離婚で実感していることだった。
『愛着障害』カウンセリング
夫に「愛着障害」じゃないのか、と言われた4月上旬。
渡された本の著者、岡田先生の関連センターに連絡を取り、Skypeでカウンセリングを予約した。
90分8000円。
一番信頼し、いざという時は自分を守ってくれると思っていた夫から、頻繁に人格を否定され、私は夫に見放されたという不安と恐怖の心境に襲われて、私は自分の今までの態度を改めて夫の気持ちを早く取り戻さなくてはと焦り、そのことだけに頭が一杯一杯になっていた・・・
カウンセリング自体は、幼少期の出来事を思い出すことがつらく、涙があふれたが、その思い出をどうしまっておくか、など、自分なりの気づきがたくさんあった。毎回、気づきがあり、安心して話ができるカウンセラーに、長年しまっていた気持ちを吐き出し、心が軽くなっていった。
時々、よそよそしい夫に、私が頑張っていることをきいてほしくて 報告した。
「私の感情の激しさは、幼少期の体験が押し込められた反動だったみたい・・・」等。
夫は、これもまた、よそよそしく聞いていた。
「そうか、ちなつの今までの行動が説明つくな・・・」
「応援しているよ。」
心が離れていったように思っている夫にかけられたこの言葉だけで、当時の私は、なんか嬉しかった。『見守っててくれる…』
娘たちにはパパとママがいる家庭で育てたかった。それだけ。
パパも良いパパを家では演じていたし、娘たちにはパパが必要、だから、私さえこの性格を直し、夫の心を取り戻せば・・・それだけだった。
その時の夫は、もうすでに、裏切り、逃げ出すことを計画していた。
何も知らない私。自分の弱さを私になすりつけ、悪者に仕立て上げ、「俺はこうするしかなかったんだ、感情的なちなつと話し合いが出来ないから、逃げるしかなかったんだ。」と己の自分勝手な行為を正当化した夫。
神様やご先祖様は、私に迫りくる地獄へのカウントダウンを、どんなふうに見ていたのかな。
私はその後も、月に2回のペースで、カウンセリング続けた・・・。
夫と仲良くしたかった。
愛するみいなとあいこをパパとママがそろった家族で、愛情いっぱい注いで育てたかったから・・・
『4人家族』をどうしても守りたかった。
だって、3年前の不倫を許し、危機を乗り越えてきたんだから・・・私は家族に尽くしてきたんだから・・・
願いはそれだけだった。
今思えば・・・の心の引っ掛かり
いつから夫は私たちを騙し、逃げ出す計画をしていたのか・・・
東京に引っ越すと決めたときからか?
私に2択ー広島に残って単身赴任 or 一緒に東京にいく
その時、私が広島に残る、と言うとでも高をくくっていたのか。
「一緒に東京に行く」と言ったとき、本音は「しまった」と思っていたのか??
ならば、「一緒に東京に戻って、またちなつと仲良くしたい」と言ったのはうそだったのか?
東京に転居したばかりのfacebookには、広島の仲間への感謝の言葉と、最後に、「わがままを聞いてくれた妻に感謝します。」と書いてあった。。。
思い出せば、今年の1月2月くらいからかな・・・夫婦だから、『これが喧嘩になる沸点』や、『これを言うと、まずい』というラインはわかっていた。なのに、まったく今まで喧嘩にならなかったポイントで、夫が言葉尻をとらえて食って掛かったり、そんなつもりでないところから、夫の言葉攻めが始まったりして、戸惑った。
そう、ある日突然さも昔から苦しみ悩んでいたように、夫は私に喧嘩を吹っ掛けてきた。
私がXXと言った。それを夫は「なんでお前はXXなんて言うんだ、そんないいかた云々・・・」家族で出かけたシッピング。店前で30分にわたって私を責める、ある時はバスの中で目ん玉をひん剥いて小声で「なんでちなつはXXっていうんだ、いつ俺がXXXって言ったか、そういうところが嫌だって言っているんだよ!」と・・・・
ある時は、10年前の夫婦の会話を持ち出し、からんできた。
結婚後、1年半の周期で転職を繰り返していた夫。その頃も、辞めたい、辞めたいと悩んでいた。そこで私は、「そんなにつらいならやめていいよ、数か月なら私が養えるよ!大丈夫だから。」と励ましたものだ。
その励ましの言葉を10年後、今、引き合いに出し、『あの時、ちなつは俺をバカにしただろう!』と怒った・・・もう、私は初めて聞いたその不満に、あっけにとられていた。そんなつもりじゃないのに、なんで・・・と当たり前の説明をすると、「ならいいけど!」と怒りを引っ込める・・・
なんでこんなに私を責めるのか?そんなに私の言うことが気に障ったか?
わからないことばかりだった。謝っても責め続けるので返す言葉もなく「なら離婚すればいいじゃない」って思わず言ったこともあった。
いくら喧嘩しても、「離婚」って言葉はこの12年間、絶対に使ってこなかった言葉だ。
夫も決して口にはしなかったが、わたしから そのセリフを待っているかのようだった。今思えば。
夫はその後も、私の一言をとらえ、喧嘩を売り、私の人格を責めつづけた・・・そして、4月のプチ家出。→愛着障害と決めつけ、否定できないことを知っていて、私を黙らせた。己のやましさをすべて私の責任にするために。計画していたんだ。
プチ家出の後、「愛着障害だろう」と私を黙らせた後、私は夫に異常に気を遣うようになった。しょんぼりして、言葉も気を付け、それ以来・・・まるで家の中にいても他人のように・・・気を使いあうよそよそしい関係になっていった・・・
私は自分の過去の出来事のせいで人格がゆがんだ、と信じ、夫にゆがんだ甘えで苦しめていたと夫の言うように反省し、夫に許してほしくて・・・私のほうを向いてほしくて・・・カウンセリングを始めた。
今は確信を持って言える。
夫はこの頃から自分の『不正』が後ろめたく、誰かと私を比較して、私の人格を否定することをしていたのだ。
やっぱり、3年前の不倫の時と同じやり方じゃないか!
なんとなく、夫が変だと引っかかっていたけれど、家族で出かけるし、このころはスキンシップもあったし、認めたくなかったのかもしれない。
どこまでも、手のひらで転がしているつもりだった。
不倫がバレたくない
自己保守な嘘や言い訳
それがこのころの夫の姿だった。
新たな嘘
夫が突然出て行ってから1か月ほどたったある日、夫の会社の人事Nさんから電話があった。子供の健康保険を夫から外し、私のほうへ異動する件だ。
ご主人が、手続きを「保留する」と言ってきました・・・。
なんで?自分だって必死にしていたのに?児童手当、私が受け取れなくなる!
Nさんは、「このような事態では、私は奥様に協力せざるを得ません・・」
そう言ってくれた。涙が出た・・・
「ありがとうございます。」と何度もいった。
夫の同意なしで、保険の異動が出来るよう手続きしてくれるとの事・・・
「これから調停などで、給料明細など提出する際、ご協力いただくかもしれません。
6月に、ボーナスも出ていますよね?」と尋ねるとNさんが言った。
「ええ、3月にも出ていますよ。」
絶句した!!!
3月・・・! 夫が、私の4月上旬のプチ家出で気持ちがなくなった、といったのは
嘘だった!!やっぱり!!! もっと前から、自分で計画していたんだ!!
『おまえのあの時のあの一言で、俺はXXになったんだ』
と、自分の行為を私のせいにするパターン、
3年前の不倫の時と全く同じ!!
まだまだ地獄の底から光が見えそうもなくなった・・・
卑怯な夫に、地獄の底に足を引っ張られていた・・・
3月と6月のボーナス・・・隠し、一人占めしていた・・・
するよね、あいつ、嘘つきだもの。
前にもあった、給料ごまかし、光熱費ごまかし。追及するのもめんどうだから、いちいちチェックしてなかった、信用しようと、思っていた、嘘つきなの、知っていたのに・・・家族を続けたかっただけなんだ、私は・・・その努力、すべて踏みにじってこの夫は私に感謝もせず、むしろ、責めあげ、逃げ出したんだ。
ちなつ、よく見ようよ、これがあんたが結婚した相手だったんだよ。
失敗だったんだよ。
ご先祖様がそういっているのかな。
ダメージが軽いうちに、もっと早く教えてくれなかったのかな、
このダメージから、私は何を学べばいいのかな・・・?辛すぎるよ・・・
この夫からこんな仕打ちを受けるほどの悪いこと、私はしましたか??
正夢・・?
夏休みも終わりに差し掛かった8月下旬。週末外に出かければ、仲の良い親子連れや父子を見ては、胸が締め付けられる・・・6月までは、出ていく直前、「パパ」を演じていた夫。
小学校の遠足でみいなが訪れた「グリーンセンター」
その公園を「今度家族で行きたい♪」と先生にも言っていたみいな。
それを実現した6月上旬。やっとこれた。とみいなはあいこの手を引いて、「こっちだよ、あっちだよ、」と案内が得意げだったね。
家族で来たかったんだよね・・・
みいなのパパは、どう感じていたんだろうね。
最後だから、あと数週間で俺は逃げるから・・・悪魔の心で笑っていたのかな。
すごい裏切りだよね。
今朝、みいなが面白いことを言った。
「今日ね、パパの夢を見たんだ。」
「パパはみいなに気づいていなかったんだけど、パパは女の人と歩いていたよ。彼女かな・・・パパと同じくらいの背で、髪が短くて、30代くらいかな、会社の人だと思う。」
私は背筋がゾッとした。
「みいなはね、パパに対してじゃなくて、その女に人に対して、すごい嫌だと思ったよ。嫌いって思った。」
リアルな夢だ。
週末、日暮里のお墓参りに行ってきたから、ご先祖様が、何か伝えようとしているのかな・・・夫の嘘を暴くために・・・
探偵をつけて、相手の女性がみいなの見た夢の女性だったら・・・
私が、夫が出ていく前、嫌な予感がして、3年前の不倫相手に慰謝料請求をしたのも。
出て行った当日、たまたま早く帰ってきて、出ていく夫と鉢合わせしたことも。
私には第六感はないけれど、きっと見えないもので私たちに伝えようとしているんだな、と思った。辛いことだけど。
「これがあなたの知らない本当の夫だよ、見てごらん、これが本性だから!」と。
引越し
夫が突如出て行ってから、まず初めに取り掛かったのは、家賃の安い部屋への引っ越しだった。
不倫夫は、私達を家賃14万のアパートに置き去りにして逃げた。婚姻費用を払うとはいっても、当然信用などできない。いざというとき、自分の給料でやっていける家賃でないとどうにもならなくなる。
巨大アパートの狭い部屋の空室はすぐに出た。
3人暮らしで十分な広さだ。引っ越したほうが心機一転、気分も少しは良くなるかもしれない・・・
悔しいのは、その家賃でも月10万。年収が400万ないと、契約できないのだ。
400万・・・かつては500以上稼いでいた私も、出産、育児で仕事をセーブしているうちに、年収は足踏みしていた。すべて家族のために自分を犠牲にしてきて・・・その間、夫はどんどん年収が上がり・・・誰のおかげで! そしてこうして妻を捨てて!!
悔しい。
もう一つの方法は、家賃を1年分前払いすることだった。
幸いにも、それを支払える貯金が私にはある。その理由は後日述べよう。
それでも、契約で150万の出費。
心はズタズタ、弁護士費用や新しいアパートの契約・・・
これで体でも壊したら・・・娘たちを守っていけない・・・
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T人事部長
これからの方針は決まったが、苦しい日々が続く。
なにしろ、調停は2か月後。日々子供たちとの生活は、あわただしく過ぎていく。
ふとみいなとあいこが口にする、「パパに会いたいな」や、「パパとね、」といったつい先日のパパとの出かけた話なのに、「あの時の優しいパパ」が一瞬で「あんなことをしたパパ」になった。そんな話を聞くのもつらい。会いたいよね、会わせてあげたいよ・・・じゃあパパはどうしてちゃんと話し合いをせずに出ていったのか。同じ話になってしまう。
つい子供の本音を聞くと、感情的になって夫の行為について発言してしまう。子供には関係のないことだ。夫の話をすると、子供に当たってしまいそうだ。
もう一つ、決めたことがあった。
元居た場所に帰ろう。
前職のT人事部長には、在職中からお世話になった。私が夫の転職のため、退職したときも、「何かあったら連絡してきて」と言ってもらっていた。嫌で辞めたのではない職場。そして、1月から勤務していた東京のH系列、ラグジュアリーホテルでの仕事が合わず、東京で他の仕事を紹介してほしい、と相談したこともあった。
『T部長、恥を忍んで連絡しています。あまりにも今自分に起きている出来事がつらすぎで、一人で抱えきれません。Sホテルで、私に務まるポジションはないでしょうか?あるなら、帰ります。』
T部長は翌日すぐ電話をくれた。
詳細は話さなかったが、事情を察したT部長は、『広島が好きなんだろう、帰っておいで。』
娘二人連れて帰る意味を考え、それなりの給料で、と言ってくれた部長。
また味方が増えた・・・ただただ、感謝、嬉しかった・・・親兄弟と弁護士にしか話せないことを受け止めてくれる人がいる・・・ケリがつくまで動けないと伝え、半年後を目標にした。
みいなとあいこにも宣言した。
「広島に、帰ろう!」
10月に東京に来て、学期途中でいきなり転校だったみいな。たった一人で約500人を前に壇上に立ち、気丈にも挨拶をしたちいさなみいな。
その後、からかわれて嫌な思いもした。学校に行きたくないと泣いた日もあった。担任の先生や友達のおかげで、転校生独特のトラブルも乗り越えてきたのにね。
1月お正月明けから、急にホームシックになったあいこ。毎朝、「保育園に行きたくない!」と泣き、保育士さんのたくさんのケアと愛情で、なんとかそれを克服したよね。
毎日保育園から帰ると、『ひかり保育園が良かった、帰りたい・・・広島に帰りたい・・・』と涙だったあいこ。「パパが決めたことだから、家族一緒がいいから、一緒に来たんだよ」いくら言っても、3週間は涙が続いた。望郷の念で、つらい思いをしたあいこ。
ちいさな娘たちも相当のストレスを感じ、克服してこの東京にいまこうしてなじんでいるのにね。私たちを連れてきたパパは、何も言わず、私たちを置いて、逃げた・・・
ここ(東京)にいる理由はもうない。
「みいなとあいこが、将来自分たちだけで、電車で1本でパパに会いにこれるように、日〇駅にしたんだ。」
勝手に言ってろよ!
勝手に出て行っておいて、「一人で来れるように、便利な同じ沿線にアパートを決めたんだよ」と?いかにも?思いやり?
胸糞が悪い。
ここにいる理由は、ない。