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不倫・人格否定・そして突然の別居!地獄の底から這いあがる!

己の不倫を隠すためモラハラで私を洗脳し、突如別居した元夫。残された娘と3人で、新しい自分へ成長するまでを綴ります。

子供の面会中止

初めの娘たちとの面会後、次は「お泊りでもいいよ」と伝えていた。

弁護士と話し、方針を変えた私は、前日に中止を伝えた。

このお泊りを楽しみにしていたみいなとあいこ。わかっていた。

ちょっと遠くの動物園に連れて行ってもらうんだ、と。

お泊りのために、前回IKEAで枕を買ってもらったんだ、と嬉しそうだったのだ。

弁護士に強く言われていたことーそれは、

『パパに会わせないことをしっかり説明すること、そして子供の心をしっかりとつかんでおくこと。』

 

夕食後、私は二人に切り出した。

「パパはママと話し合いもせずに出ていった。勝手に出て行って、みいなとあいこには会わせろっていうのはおかしいと思う。話し合いで、お金のこと、これからの生活、ふたりと会わせるルールを決めなければならないのに、なにもせずパパは出て行ってしまったからママは困っているの。あした パパに会いたいのわかっているけれど、ちゃんと偉い人と相談してルールを決めるまで、パパには会えない。」

あまり本音を出さないあいこは、ママっ子なのもあり、あっさりと納得した。

一方、パパっ子のみいなは、直後から不機嫌になり、泣き出した。

私はあきらめずみいなをしっかり見つめて話をつづけた。

「お願い、ママは、パパが何もお話もせず出て行って、困っているの。こんな、捨てられたなんて話、だれにも相談できないの。おばあちゃんにしか、話せていないの。こんなにママは困っているのに、誰にも相談できないんだよ。だれも味方になってくれないんだよ。だからママは、偉い先生の所に相談に行ったの。そうするしか、方法がなかったのよ、わかって。偉い先生と、ルールをきちんと決めましょう、って決めたの。」

 

2時間はかかっただろうか・・・頭では理解したが、気持ちが納得いかないみいなではあったが、パパとしばらく会えないことをわかってくれた。

 

夫にはメールで通達した。

『第三者に入ってもらって、別居の条件を決めましょう。子供の件、会いたければ、「子の面会交流調停」を起こしてください。』

 

すぐに返事が来た。

児童手当の手続きを中断したことを逆恨みしているんだろう、云々。

しかし、思ったほど食い下がってこなかった。

そして、思った通り、その後も、面会交流調停は起こしてこなかった。

 

「おれはみいなとあいこを愛しています。」

 

別居後のメールに書いてあったけれど、本当にそうだろうか。

外面の良い夫。イクメンと呼ばれ鼻高々、子煩悩を演じ、子の行事には積極的に参加。こどももかわいがっていたが、一方的に出ていくほどの「よほどの事情」がある夫には、子供は邪魔なはずだ。父親であること、夫であることを己の欲望のために放棄した夫。

書きなぐりの娘たちへの別れの置手紙。

 

ここ数年、とくに感じていたけれど、感じないふりをしていた、夫を信じたかった。でも

やはり、「愛情」に乏しい人間だ。

 

子供を切り札にはできない。そこまで夫は、子供を愛してはいない。

一方、パパが大好きなみいなとあいこ。

こどもはいつでも、どこまでいっても被害者なのだ。

そして、その責任の半分は私にある・・・ズタボロの心にさらに背負いこむ負い目。

 

神様、私はどうすればよかったのか。

抱えきれない苦悩と悲しみと不安と憎しみと・・・運命を呪った。

味方

東京の弁護士を紹介してもらった。

私と同年代のI弁護士は、広島の元同僚から紹介された私に、とても親切だ。

I先生は、経緯を伝えると第一声こう言った。

 

「このだんな、何がしたいんだろうね?もう、地獄行きの急行列車に乗っているのに!」

 

「え?先生、そうなんですか?」

 

「そーだよ、こんなことして、子供捨ててよ、調停起こされて、子供にも会えなくなって、一つ崩れると、一気にガラガラと崩れるからね、仕事もうまくいかなくなるし。」

こんな依頼者もくるわけよ、弁護するけれどね、もしだんなが俺のところに来たらまずいうね、『とりあえず、まずいよ、いったん戻れ』ってね。」

 

そうだよね、わかっていても、された当事者の私は、つらいばっかりで、被害者で、俯瞰で見れないのだ。誰が見たって、夫がしていることは不利なことは明らか。

心強い味方ができた・・・

私の気持ちを汲み、円満調停と婚姻費用増額調停を起こすことで決まった。

同時に、子供の面会はいったん中止。子供に会わせろと言ってきたら、子供の面会調停を起こして、と言いなさい。と。

 

よく考えてみればそうだった。夫の求めるまま、一度子供たちを夫に会わせていた。

子供たちも喜んだ。おかげで、こどもたちから夫の住所までわかった。

でも、どこに住んでいるかもわからない人に、子供を預けるなんて怖い。

今は入居したばかりだが、これから現在進行形の不倫女のものが増えていき、生活感が出たときに、子供によくない、とI先生は言った。

たしかに。

現に、みいなは「トイレットペーパーが花柄だったよ。」と教えてくれた。

花柄は普通のより高い。そんなの夫が買うわけがない。

話し合いもせず出ていき、私が怖くて話し合いができなかった、というのは嘘だ。

本当のことが話せないから逃げるしかなかったことくらい、「突然の別居」=「不倫」はどのサイトをみても、方程式で決まっている。

 

方針を決めた。子供たちは夫に会わせない。ルールを決めるまでは。

 

でもね、味方を得た私だったが、毎晩毎晩不安と裏切られた悔しさと、見えない敵、夫と不倫相手のことばかり考え、胸が押しつぶされるような日々を過ごしていた。

第一回の調停が決まるのはずっと先・・第一回期日は、弁護士を委任してから2か月後だった。苦しい日々。

児童手当を私の口座に その②

なぜか夫も児童手当のことは躍起になっていた。

転居先で、児童手当の手続きをするのに、別居している私の課税証明書が必要だとか、なんとか。転居先でとりあえず自分名義で申請し、とにかく「とりっぱぐれ」がないように必死だっただけだ。

色々必死になっていた夫だったが、最後の「子供の健康保険を異動し、妻の健康保険の扶養とする」段階で、連絡が取れなくなった。

 

子供の保険の異動手続きをすすめていくうち、夫の会社の人事に連絡し、子供の保険の異動手続きがなされているか、確認してみることにした。

ドキドキした。なんと聞けばいいのか。

 

Nさんは、なぜ私が電話してきたか不思議がった。

当然だ。

夫から一度保険の異動は聞いていたNさんは、私の問いに、「でも、収入が多いほうが子供の保険の扶養となりますので・・・」と当然の回答をした。

夫は、Nさんの当然の回答を、己の身勝手な行為を説明することができないゆえに、それ以上の手続きをできないでいたのだ。

 

私は言った。

「それは存じています。でも、夫は、私たち家族になにも告げず、一方的に出ていきました。残された私が、児童手当を夫に横取りされずに受け取るには、この手続きが必要なのです。協力してもらえませんか?」

 

Nさんは「えっ‼」と絶句していた。

 

「では、今、ご家族は、〇区にまだ住んでいるのですか?」

「はい・・・Nさん、私たち家族が、夫の就職に伴い、広島から転居してきたことはご存知ですよね・・・?それなのに、私達、たった8か月で、捨てられたんです・・・」

 

私は声が震えていた・・・でも、言わなければ、必要な手続きができない。

 

Nさんは、電話越しに動揺を隠しきれない様子だったが、私の要望通り、異動の手続きを進めてくれることになった。

 

事情を話したけれど、改めて惨めになった・・・

出ていたかれた妻、捨てられた妻と子、のこのこと東京に付いてきて・・・こんなことになるなんて、なんて惨めで滑稽だろうか。格好の噂話のネタだ。惨めと同時に、夫への憎しみは増すばかりだった。

3年前の不倫の時のことを思い出して、フラッシュバックと今回のショックで、もう心はボロボロだった。

 

心の支えー理解者たち

児童手当の手続きや、弁護士との打ち合わせで、仮病を使って会社を早退していた私だったが、意を決して社長に事情を話した。

 

今の会社は6月に入社したばかり。転職の際も、夫に相談しながら、これなら、子育てと両立できると思って決めた会社だった。

でも、夫は、初月の私の手取りを確認すると、その5日後、一方的に出ていった。

 

転職後の私の手取りを「いくらもらえそうなの」と何度も確認していたのは、婚姻費用を自分で計算し、「ちなつにこんだけはらえば やっていけるだろう」と算段していたのだ。

 

悔しかった。捨てられるとわかっていたなら、もっと年収の高い会社を狙ったのに!転職したばかりでは、さらなる転職活動なんてできるわけがない。許せない。

 

恥を忍んで、社長へ打ち明けた。

 

社長は、休みのことは気にしなくていい、生活を立て直すために、必要な時間を必要なだけ取りなさい、自宅から仕事してもいいのだから、心配しないで、子供の達のために生活一番でやりなさい、と・・・

 

泣いた・・・

 

入社したばかり。有休もない。早退すれば、給与から引かれるのが当然だ。

親兄弟にしか話せなかったこんな惨めな話をできたのは、社長が初めてだった。

感謝しかなかった・・・・

一人でも、理解者が増えると思うと・・・ただただ涙が溢れた。

児童手当を私の口座に

地獄の日々が続いていた。

 

それでも娘たちを朝起こし、弁当を作り、朝食を食べ、見送る。娘たちは、それぞれ見せないまでも傷つきながら普段通りでいてくれる。頭の中はぐちゃぐちゃだけど、日々のroutineはやってくる。

夕食の準備をして出勤。頭の中は、自分の不安、夫への憎しみ、執着、戸惑い・・・頭の中がぐちゃぐちゃのままの仕事は、あまり身に入らなかった。仕事の合間に、つい「別居」「夫が突然別居」などのキーワードで検索してしまい、「夫が突如別居する場合はほぼ不倫」という文字をあちこちに見つけ、わかってはいても、『そうだよね』とさらに落ち込むことばかり繰りかえしていた。

色々考えを巡らせているうちに、その日は早退して、区の子育て支援課に行き、児童手当を私の口座に振り込む手続きをしなければ、と思い立った。

しかし手続きは思いのほか、私に不利だった。

 

私の口座に児童手当が振り込まれるよう手続きするためには

①夫が、「監護権放棄の申し立てをする」つまり、現監護者ではない、という証明。

②子供の健康保険を私の職場の健康保険の扶養に入れる。同時に夫の会社の扶養から異動手続きが必要。

 

①も②も夫が協力してくれない場合は、妻側から、「離婚調停中を証明する裁判書類」

 

この時点では、私は「円満調停」と「婚姻費用分担調停」を起こすつもりだった。

つまり、円満調停では離婚が前提ではないから、だめだというのだ。

 

まだこのころは夫とLINEでのみ連絡が取れていたので、①も②も手続きを進めてくれていたが、途中で連絡が取れなくなり、どちらも進めなくなってしまった。

 

お役所とは、なんとも無情だ。

 

「夫は一方的に子供を置いて出ていったんですよ、なんの監護もしていないんです、それでも、収入が多いほうが子供の監護者として、児童手当をうけとるなんて おかしい!横取りされるじゃないですか」

 

いくら言っても無駄だった。「離婚へ向けての」調停でなければ、妻側からの手続きを進められないのだ。

次の児童手当の支払いは10月。

「路頭に迷わすことはしない」といった夫だが、信じられるわけがない、だって、

いくつのウソを重ねて私はこんな目にあっているのか?

 

それでなくても、毎月、いかに自分の手元のお金を確保するか、家族のため、家族の貯蓄よりも、自分の取り分を自由になるお金を確保することにずーーーーっと 躍起になっていた夫だ。お金の執着がすごいことはわかっていた。

 

悔しい、悔しい、捨てられ、ズタズタにされ、行政も私を守ることをしてくれない・・・

逃げたもん勝ち。

 

 

 

後悔

みいなとあいこがパパと面会してから、どうしようかと考えていたことがあった。

アパートもわかる、行ってみようか。誰かが出入りしているのを偶然見るかもしれない・・・

行こうと思ったり、もうどうでもいいや、と思ったり決めかねていた時、横浜方面に行くことがあった。

 

「行くなら、今日の帰りしかない・・・」

 

念入りに最終電車をしらべ、用事が終わった後、夫のアパートに向かった。

最寄り駅に着き、ドキドキしてきた。

 

夫はどんな腹黒い気持ちでこの駅を毎朝使っているのか。

清々したと、己の正しさに酔いしれているのか。

どんな面をして人に会っているのか・・・

 

時間は夜10時半。駅からすぐの新築アパート。

102号室には締め切ったカーテンから明かりが漏れていた。

 

居る。

 

洗濯物をみるが、暗くてよく見えない。

 

ドアの前に行って、ドアポストを開けると、クーラーの冷気と明かりが見えた。

意を決して、インターホンを鳴らした。

 

その瞬間、すべての明かりが消えた!

 

居留守を装っている!

 

絶対に怪しい!!誰かと居る!!

 

ドアの向こうに私を苦しめている憎き夫と不倫女がいるのに・・・何もできないなんて・・・自分の無力さと、来たことの後悔で、また胸が苦しくなった・・・

 

来るんじゃなかった・・・

 

そのパパの態度を見たみいなとあいこも、帰りは黙りこくっていた。

機嫌が悪くなるくらいなら・・・わかっていたのに・・・

 

真っ黒の夫。

 

何も話し合いもせず、「ちなつが怖くて話せなかった」と私を愛着障害だと悪者にし、周りに触れ回っている夫。

 

私の結婚した人はこんな人だったのか・・・

嘘だらけの上に、知る必要のない嘘が降ってきて、どう心の折り合いをつけていいかわからない、ドロドロの感情からぬけられない。助けて。

ショック期

電話をしても出ない、居場所も教えてくれない、LINEも既読無視、

話し合いもできないまま突如として別居となってしまった。

 

カップルカウンセラーの岡野あつこさんによると、

 

第1段階 ショック期
あまりのショックの大きさに自分で自分を支えられない状態。これは悪い夢ではないのか? 夢であってくれたら、と願うが現実に起きたことであり気が動転する。動悸がして眠れずどうしてこんなことに? なぜ私がこんな目に? と同じことが頭の中でぐるぐると回り続ける。

まさに、自分の身に起きている事態を自分で抱えきれず、今後の不安、なぜこんな目に?どこから歯車が狂ったのか? 先週話し合ったのはなんだったのか・・・?

ぐるぐると回り続け、それでも子育てがあるので、いつも通り朝起きて、朝食を作り、子供たちを見送り、仕事に出かけ・・・でも仕事も身に入らない。

 

そして、翌日夫からメールが来た。

「先週の話し合いで本当のことが言えずにごめん。本当のことを言って、怒るちなつと話すことができなかったからこうするしかなかった。だますつもりはなかった」と。

 

どんなつもりだろうが、騙していたのは事実。

つまり、話し合いを避けて「逃げた」のだ。

 

そのセリフの後は、淡々と、別居の希望、財産分与、婚姻費用など、一方的に綴られていた。

頭では、切り替えて、これから3人でどうやって暮らすか、婚姻費用は十分なのか、を冷静に計算しているが、心は「なぜこんな目に?」ぐるぐるぐるぐる・・・

押しつぶされて苦しい。

 

自分を責める・・・メールの最後に、夫が「カウンセリング頑張って」と書いてあったから・・・別居=私のゆがんだ甘えのせい と解釈した。

翌日から、反省のLINEを続けた。「早く気づけばよかった、気づかなかったから、私は家庭を壊してしまった、」云々。娘たちにも、「ママがパパ強く言い過ぎたからこうなったんだ、パパを追い出してしまったんだ、パパを奪って本当にごめん・・・」と毎日泣いた。

愛着障害」の原因となったことを考えて、どうしようもない憎しみと、現実のショック、パパの話を無邪気にする娘たちの心の変化に気を配り、打ちひしがれてばかりはいられない娘たちとの日常をやり過ごしながら、日々が過ぎた。

母の次にこの事実を話せたのは、3年前にシングルマザーになったKだった。

Kには、

どうしようもない胸の内を打ち明けると、Kが送ってくれた言葉がある。

 

What hurts you today will make you stronger tomorrow. 

『今日あなたを傷つけたものは、明日あなたを強くする。』

 

泣いた。

 

こんな日が来るのか?私はまだ地獄の底を這いつくばっているのに?