google-site-verification: google2ec07b0ee27d6cd4.html

不倫・人格否定・そして突然の別居!地獄の底から這いあがる!

己の不倫を隠すためモラハラで私を洗脳し、突如別居した元夫。残された娘と3人で、新しい自分へ成長するまでを綴ります。

急転直下②

離婚条件を出した12月から2回目の調停。

急に離婚条件を出して、2回目で「不調にして訴訟にします!」と言い切った私に

調停員たちは、説得にかかった。「訴訟にしたところで、長くて辛いことを沢山言わなければならない、さらにお金がかかり、傷つくうえ、希望の慰謝料が取れるという保証はないので、なんとか調停で話し合ったらどうか」

突っぱねた私は一度待合室に戻り、30分以上待たされただろうか、こんどは調停員は早漏夫側の説得を試みているようだった。この出たり入ったりの話し合いが2回。

慰謝料の金額はどのくらいを希望しているのか?どのくらいの範囲なら、受け入れられるのか、等、具体的な落としどころ金額まで。それを相手方に伝え、説得をしていた。

 

私は心に決めていた金額があった。不倫女Yと合わせて、この早漏夫との慰謝料総額を幾ら以上取る、と決めていたのだ。不倫女から取ったお金を差し引いた差額を提示した。これが出せないなら、訴訟です、と。

 

もう裁判所の閉所時間5時に近づいていた。

最後に調停室へ呼ばれた時、調停員は言った。

 

「ちなつさんの希望慰謝料額一杯を支払うそうです。そして、養育費、子供の面会交流も、交通費は自分持ち、泊りはなく、2日連続でならよい、という条件も。高校、大学、成人時にお祝い金としてそれぞれ10万ずつその都度払う事。」

 

横で私のT弁護士のほうが驚いていた。

 

訴訟ではない、だから、「勝った」という表現は不適切だが…

 

私の要求が全面的に通った。

 

理由は一つ、訴訟にしたところで、断然不利なのは早漏不倫夫であり、さらなるお金がかかるくらいなら、慰謝料を払って別れ、早く再婚をしたいのだろう。

 

出て行ったとき、半年にわたって私を精神的に問題があるとストーリーを作り上げ、私の責任として、「カウンセリング、頑張ってね、別れた後でも、心から応援しています」と、反吐がでるような下衆なセリフを言って「最後まで優しい夫」を演じ続けていた早漏不倫夫。私はこいつの嘘のストーリーを法律の場で公表し、戦った。

 

そいつのやってきた一連の極悪非道の悪事を、慰謝料という名で落とし前をつけさせた。

 

分割払いだが。

 

私は、申立人待合室で泣いた。

 

家賃14万の部屋に子供二人とともに残され、急に奈落の底に突き落とされたショック。裏切り、新たな嘘、苦しくて苦しくて、月一回の調停が待ち遠しかった夏、なかなか進まない、広島に帰りたいけど、調停をしている間は帰れない、と苦しんだ秋、なぜどうして!?と毎日悶々とした祈りの日々、年明けには帰りたい、とだけ願った年末…周囲の人に悟られないように人目を避けるようにひっそりと暮らした9カ月。出ていくばかりの弁護士費用、2度の引っ越し、新居費用、転職活動・・・

 

 

 

T弁護士は、『今夜はおいしいお酒が飲める』と喜んでいた。弁護士もびっくりの展開だったからだ。相手方の弁護士にも説得されたんだろう。勝ち目はないから、別れたいなら払いなさい、と。

 

「いでぐちさんの、ぶれない態度が、この勝利の大きな理由ですよ。」

 

たしかにそうだ。1万円でも値切ろうものなら、訴訟にするつもりだったから。

 

5時をすでに回っていた。裁判官が、調停離婚調書を読み上げをし、(双方立ち合いだが、私はデカ顔の早漏夫の姿など見たくないため、弁護士に代理で出席していただいた。)私はそれをもって、役所へ一人で離婚届を出せば終わりだ。

 

その日の夜、母に報告した。弟にも。

引越しまであと10日。時間がない。さらに会社を休んで、本籍地のある関東のくそ田舎市役所へ向かった。開庁時間に合わせるため、朝6時台の電車に乗って…

 

f:id:chinacchan:20180422005209j:plain

 

無事に離婚届を提出した。

 

離婚届を手にしたとき、ふと、12年前の結婚した時のことを思い出した。

人前式で、茶色の色遣いの婚姻届にその場でサインしてその日のうちに提出したな、と。

私の人生は、ここからこうなることまで決まっていたんだろうか・・・と。

 

結婚生活は終わりがあまりにも惨めで辛くて、『なぜここまで私を貶めるのか?』と涙だったが、果たして全体を通して、楽しかった時もあったじゃないか、と…みいなとあいこが生まれたときも・・・ 

 

すがすがしい気持ちと共に、そんな複雑な気持ちが溢れた。

 

そして、私が守りたかった家族。結婚生活は、終わった。

 

私は自由になった。お金をもらったからといって、傷ついた記憶がなくなるわけじゃない。将来の心配はいくらでもある。人を信用するのが怖くなった。世間体、後ろめたさ、惨めさ、二人の子を抱えた不安、等、負の遺産は沢山ある。

 

みいなとあいこには、膝を突き合わせて報告した。

二人とも、安心した表情を見せて、わたしに甘えるように膝にほほを摺り寄せてきた。

 

「これから、3人家族、宜しくね。」

 

急転直下①

引越しを10日後に控えた平日、最後の有休を使って、調停のため家裁へ向かった。

なんどこの道を歩きながら、「これが最後だ」と考えたか。初めの数回は、子の面会交流ルールを決めるために何度も早漏不倫夫の『メルヘン子供の面会交流』案を聞かされ、それを拒否し、また別案が出て・・と、1か月に1度しかない調停をこんな話をしたくない、早く離婚の条件を話したい、と思ったものだ。

 

不倫女Yとの裁判を見届けながら、じっと時期を待った半年。

 

今日こそは円満調停を不成立にして、訴訟にする第一歩なのだ。「これが最後よ、私たちは広島へ帰る。」裁判になれば、すべてを弁護士に任せてよい。

 

ようやく今回の調停では、調停期日前にすでに相手方に出していた離婚条件の話ができる。条件(意見書)には、最後だから、と、私の心情を綴るようI弁護士に言われた。

 

(申立人本人の心情)
申立人は,相手方の上記のような一切の責任を放棄した極めて身勝手な一連の行為及びその後の子の面会要求における自己中心的な主張により,金銭的・精神的苦痛を受け続けている。
特に,未成年者らは家族ぐるみで交流のあった学校の友人に対して,「パパは遠くに出張へ行っている」と嘘をつかざるを得ない状況になっており,相手方が出て行ってから,残された一家3人は,事情を知られたくないがために人目を避けるように隠れて暮らし,この数か月間は,まさに地獄であった。
平成2X年X月に,申立人は相手方の「一緒に東京で仲良く暮らしたい」という言葉を信じ,この時点で相手方が認めていた不貞行為も不問にし,夫婦で購入した広島の自宅も,申立人のキャリアや人間関係もすべて捨てて上京したのにもかかわらず,その後たった8か月で,相手方は何の話し合いもなく一方的に家族を捨てたのである。
12年間の結婚生活の中で相手方の身勝手な行動(キャリア志向)のために自らの仕事も生活もセーブして尽くしてきた申立人の絶望は相当なものである。その為,申立人は相応の覚悟をもって今後の離婚裁判に臨むつもりである。

 

調停員に意の一番に伝えた。

「不調にします。相手方の回答も、慰謝料など存在しない、や、解決金なら100万程度払っても良い、などと、不誠実。夫が出て行ったのは今不倫しているからです。それを隠すために私を悪者にしたてあげました。家族を奈落の底に突き落としておきながら、謝罪もなく、慰謝料を払う義務がないと不誠実です。もうこれ以上話し合うのは無駄です。私は10日後に転居し、これ以上調停に出廷することも出来ません。訴訟とします。」

 

調停員は、なんとか調停でまとまらないのか、訴訟にすると、お金はかかるし、長引くし、嫌なことを沢山言わなければならない、もっと離婚条件については時間をかけて話し合ったらどうなのか?、と説得を始めた。

 

-いや、私には時間がありません、この数か月、この話をしたくても、子供のことが優先され、話し合うことが出来なかった。それでも、12月に条件をだして、相手方の反応をみたが、2度も慰謝料を払う必要はない、などと不誠実。時間の無駄です。

 

「解決金」という名目が嫌だとおっしゃるが、この一言が合意できないだけでも、訴訟とするのか?金額が合わないだけで訴訟にするのか?妥協はできないのか?

 

一瞬迷った。解決金ではなく、「慰謝料」という名目でないと納得いかない。本当にそれだけの理由で、これからさらに長い道のりになる訴訟にするのが得策なのか?

金額が1円でも合わないだけでも、妥協しないと突っぱねて、訴訟にするのがいいのか?

 

「訴訟にしたからと言って、いでぐちさんが望む金額が得られるとは限りませんよ。」

私は、弁護士にも言われていた。待合室で、何度も聞いていたのだ。「うーん、取れても200万弱…かな」「え?3年前の不倫の慰謝料と合わせてですか?」今回の不倫(にちがいない)に端を発した突然の別居、に対しては、不倫の証拠がない。敢えて言うなら、悪意の遺棄だが、金額は望めない。

「そんなんものですか…」

すでに70万近くを弁護士費用につぎ込んていたのに…訴訟にしたとしても、たった200万が取れないかもしれない。だから、私は調停員が訴訟にしないよう説得する言葉が響いたのだ。

 

私は怯まず言った。

「訴訟にします。」

 

困った表情の調停員はT弁護士を見た。T弁護士は、

「この数か月、いでぐちさんの苦しみを見てきました。別件の不貞行為訴訟でも彼女の日記を証拠として拝見し、この数年間、この結婚生活で苦しんでこられたことがよくわかっていますから、彼女の納得のいくようにサポートしたい。」

 

訴訟にすることで追加で弁護士費用が掛かる。+30万。

お金?出ていくばかりだ。もったいない。でも、お金じゃない。

 

てめえのやった落とし前は、

てめえでつけてもらおうじゃないか。

 

これだけだった。私と、みいなと、あいこのために。

 

 

願いは叶う

2017年6月、誰もが信頼する「配偶者」に奈落の底へ突き落とされた。

 

「ちなつは『愛着障害』だとおもう。もうおれはちなつの心の「安全基地」にはなれない・・・・おれは気持ちがOFFになってしまった。…」などとモラハラの種まきを半年にわたって行い、私を洗脳し、私は自分を責め・・・・すべては私のせいだと…

 

あれから8か月。月一の早漏夫との調停。一方的な子への面会要求。

一方私は水面下で、3年前の不倫女Yを相手取って不貞裁判を起こし、エグい思いをしながら、先日和解が成立した。要求額の半分以下だったが、それも想定内。一括支払いだから良しとした。

この事実は、敢えて早漏夫との調停では明かさなかった。早漏夫はこの裁判を知りながら、自分の弁護士に己の身の程知らずの3年前の不倫を伝えていない。

 

前回の調停で、何も決まっていなかったが「広島に転居するので、転居後の条件で今後の話を進めてほしい」と啖呵を切り、調停員も早漏夫側も慌てさせた。

在職中の社長にも、3月末で転居するつもりだ、と告げていた。ずっと理解を示してくれ、弁護士との打ち合わせや調停等、自由に半休を取らせてくれた社長には正直でいたかったから。

 

仕事も何も決まっていなかったのに。

 

あれから2週間後、願いは叶った。

 

内定が出た。

ついでにアパートも決めてきた。

 

空前の引越人手不足、引越難民になりそうであったが、希望通りの予定日で引っ越し業者も決まった。

 

引越し日が決まったら、長野の友達夫婦に連絡を取り、みいなとあいこを連れて遊びに行くとアポを取った。みいなとあいこは、父方のじいじばあば、ともう会えないとわかっていて、この長野の夫婦を「長野のじいじとばあば」と呼んでいた。

私の話を受け止めてくれた人々に報告をした。

相変わらずSkypeの英会話講師で予約をいただき、稼いだ。

 

新生活に向けて準備を進めていくと同時に、次回調停準備書面にて、早漏夫に「円満調停は不調にする。そして、離婚裁判にする。」「面会交流調停を取り下げてくれ、この続きは裁判で行う。」と告げた。ここで初めて、3年前のYとの不貞行為につき、一部弁済金を受けたことを告げた。ぶちまけた。そして宣言した。

 

「相当な覚悟をもって裁判に臨む」と。

 

2017年7月に帰ることを決めてから8か月。調停を行うために歯を食いしばってここに残った。毎日仕事に行った。知り合いから逃れるように人目を避けて参観日も行かず耐え忍んだ日々、「パパは遠くへ出張へ行っている」と嘘をつかざるを得なかった子供たち。Skypeの講師で毎日4レッスンこなし、光熱費の節約、そんな日々の中で、3人で楽しく過ごした週末やイベントの数々。

調停を不調にし、ようやくスタートラインに立てる。

 

願いは叶う。

私はみいなとあいこを連れて、元居た場所へ帰る。

安心して暮らす。ここにいる理由は何一つない。

 

次の願いは慰謝料と、ハワイ旅行とマンションを手に入れること。猫を飼う事。

 

 

 

the best Bday ever!! -最高の誕生日-

もう誕生日が嬉しくもない歳だが、子を持って以来、誕生日はやはり特別なものだ。

自分がこの世に生を受けた日。奇跡の日。

 

当日朝、みいなとあいこにWhat day is it today? と聞いたが、It's Thursday.と答えただけ…その数分後に「あっ!」とあいこが声をあげ、「ママお誕生日おめでとう。」と言ってくれてその日は始まった。

 

去年の誕生日は都内の高層ビルに位置するラグジュアリーホテルに勤めていた。

その後に起こる人生最悪の瞬間が迫っていたのに…様子がおかしいと感じながら。

職場はひどく退屈で、やることがほとんどなかった。でもその職場では帰る間際、同僚がナイスにもお祝いをしてくれたっけ。

 

あれから一年。無事に仕事を終え、帰宅すると、笑顔のみいなとあいこが私を見るなり

 

せーのっ!『ママ、お誕生日おめでとう!』と二人で声をそろえて言ってくれた。

部屋に入ると、折り紙にお祝いを書いて壁に飾ってある。

そして部屋のあちこちにひらがな一文字の暗号の紙が。それをつなげると、

「ママだいすき」になった・・・・

 

みいなとあいこは9歳と7歳。いまだかつてこんな風にお祝いしてくれたことは無い。

誰が教えたの?「二人で考えたの。」

物心ついてからの誕生日の中で、こんなに幸せな誕生日があっただろうか、いや、

私は最高に幸せだ。

早漏不倫夫と仲が良かった時を思い出しても、プレゼントをもらった時を思い出しても、ここ数十年で、いや、少なくとも夫と共に過ごした年でも、こんなに幸せな気持ちに包まれた誕生日はかつてなかった。

 

私は今、愛する人たちに囲まれて、最高に幸せな気分。

心の底から言える。

今、私は幸せ。

 

f:id:chinacchan:20180301232015j:plain

 

不倫報道に思う事

人生最悪の年となった2017年。この年は、タレントBの不倫報道から始まり、芸能界や政界でも不倫報道が盛んになされた。初めのころは文春砲などと呼ばれ、してやったり、と当事者を世間は袋叩きにした。その後も元アイドル政治家と市議…ベテラン芸人…等 すると、段々世間は、「マスコミやりすぎ」とマスコミの不倫報道を批判し始めた。

いつだって、被害者は置き去り。当事者の不倫という違法行為を暴かれるのは自業自得だが、そこには必ず、不倫された側の傷ついた家族がいる。それを、マスコミは見つめない。だって、お涙頂戴しても、面白くないし、傷ついた家族だって胸の内を明かすわけがない。私がアレ以降、人目を避けるよう、私達夫婦を知る共通の友人に会わないよう、ひっそりと生活しているように…

それなのに、最近の世間の風潮は、「不倫なんかで騒ぐな、」となってきた。

わかった、不倫した当事者について責め立てたりしすぎで、飽き飽きしているのはわかった。でも、忘れないでほしい、その後ろで、裏切りで憎しみ、苦しみ、ショックで傷つきながら日々隠れながら暮らしている妻または夫と罪のない子供たちがいることを。

わたしがこのブログを始めたのは、今、そしてこれからも、私の早漏夫のようなゲス夫に苦しめられ、ズタズタに傷つけられた妻または夫が、絶望の中から生きる道を探り、立ち直っていってほしいと、私自身も含め前に進んでほしいと思ったから。

私が一番泣けたのは、出て行った夫への未練でもなく、東京まで連れてきておいて、の

この裏切りと、一気に自分が背負うことになった責任の重さに押しつぶされたからだ。

当事者になってみないとわからないだろう、世間も、マスコミも、忘れてはいけない、違法行為をした不倫罪人をたたこうが、叩くまいが、どうでもよいが、必ず傷ついている家族がいることを。決して表には出ない、悲しさを隠して笑顔で過ごす家族がいることを。

前へ、そして前へ

12月のみいなの誕生日、クリスマス、年末にお正月。

一人でクリスマスプレゼントを用意し、仕込み、おせちを用意し、お雑煮を出し…初詣。

いつもと同じ年末年始を過ごしたけれど、去年までの4人家族の事を思い出しては、

 

早漏夫はあの時にはすでに私たち家族を地獄の底に突き落とし、自分の人間としての責任をすべて放棄し、欲望のために家族を欺く計画を立てていたんだ‥』

 

と考えると、今までの4人家族の楽しい日々がすべて否定された気分になり、自分で自分の心を苦しめていた。そんな時間は非常に無駄であるとわかっていても。

 

不倫女Yに対する裁判は、初回から裁判官が早期和解を勧めるなど、裁判官には聞き飽きた事件にすぎないようだった。仮にこのまま判決となったとしても、この不倫の事実が、私たち夫婦関係が離婚になる直接の原因とは認められず、150万は超えないとまで言われた。そんなことは百も承知だった。今の不倫を見逃す代わりに、こちらの落とし前をきっちりつける。

 

裁判は、わかっていたが傷を何度もえぐらえ、知らなくてもいいような事実か否かも不明な不快極まりない言葉を聞く羽目になり、耐えがたいものだ。

早漏夫はEDであったから、私が発見したコンドームは使用していない』

『不倫が発覚した際、『別れれば、妻が慰謝料は請求しないと言っている、』から別れたのに!

『いまになって訴えられて、不倫夫に騙された!』等。

騙された?不倫とは、騙し合い、他の人も騙し、傷つける行為だ。それを差し置いて、自分が騙されたと怒るとは、お前は今なお、利己的な考えなんだな、だから、不倫するんだ、こんな人間のクズは。

 

早漏夫には、すでに離婚条件を出した。円満調停で申し立てたから、ここから正念場だ。しかし、子供の面会条件で折り合いがつかないと、離婚条件を話し合う事さえできない。何度も家裁に出向きながら、毎度早漏夫の「いいパパを演じたいから、そのチャンスを与えて」の勝手な要求に、譲歩するよう説得され、思わず「もうこの話は飽きました!条件の話をしてください」と言ったほど。

 

早漏夫の「いいパパ夢プラン」は、離れ離れであっても、学校行事は参加、夏休み、冬休みは宿泊を伴う面会。等

調停員も、「旦那さんは、いいパパでありたい、という思いが強い方で…」と飽きれている。

 

年が明けて、広島のT部長からメールがあった。私のことを気にかけてくれていて、でも、幸か不幸かポジションが空いていないこと、子供たちにも最善の努力をしている、と結んであった。

連絡を貰ったことは安心したが、いよいよ1月。3月中に新学期に合わせて引っ越すには、仕事が決まっていないと、広島に帰れない。東京にいること自体、惨めで仕方がないのだ。

一日も早く帰りたい、もう、バイトでもいいから、英会話講師の報酬と、婚姻費用があれば、なんとかやっていけるか?…

悩み、自分でも仕事探しを始めた。Skype面接をしてれた会社、東京支社で面接を行ってくれた会社等。「離婚するので、故郷の広島に帰りたいです!」と正直に恥を忍んでアピールした。

現職の社長にも、3月をめどに、広島に帰る決意である、と話した。何も決まっていないけれど。

内定をもらえるのか?わからない。でも、前へ、前へ気持ちを向けなければ、私は戦いつかれた自分の心を救うことが出来ない。

 

仕事が決まれば、家探し。引越しの日程決め。もっとパワーが必要だ。

前へ、そして前へ、

 

 

Christmas Gifts

Christmas は子供がいる家族なら、一大イベントだ。子供が小さいならなおさら、

サンタへの手紙に何を書いたのか慎重にヒアリングし、ほしいものを確認、タイミングを見計らいながらAmazonで発注。届いた後も厳重に隠し場所を確保…そんな悩ましくも楽しいクリスマスを送ってきた我が家。今年は一人親として、子供たちのサンタへの手紙を盗み見し、用意した。

子供たちのリクエストは3つ、おもちゃが書いてある。私は一人だけれど、一つだけ叶えてやろう。今までは、義理両親からのプレゼントも加わり、3つ4つのプレゼントを受け取ってきたみいなとあいこ。今年ぽつんと一つだけ届く贈りものに、何か思うだろうか。

そんな時、弟夫婦からみいなとあいこあてにAmazonギフトが届いた。

「今年たくさん頑張った君たちへ」とメッセージが。

これでクリスマスプレゼントは2つ。ボリュームが増して、喜ぶだろう…

いよいよ今夜プレゼントをセットして、と準備万端で夕食の準備をしていたころ、

小さな小包が届いた。

 

広島の仲良しファミリーのママたちからだった。

 

「いつもちなつさんを想っています。」

 

みんなで選んでくれた、上品な手袋とともに、クリスマスカードが届いた。

久しぶりに涙が出た。

 

地獄に突き落とされた直後は、「なぜ私がこんな目に?仕打ちがひどすぎる!」とあまりの悲劇に泣き暮れ、話をLINEで聞いてもらった仲間。数カ月たつと、誰だって何かしら「なんで私が!?」という辛い出来事があるはず・・・一方的に「史上最悪の仕打ちを受けた私」を受け止めてもらっていたことを、恥じた。

私がいつか立ち直って、キラキラ輝く日が来た時、私も同じようにつらい日々を送る友人を励ますことが出来るだろうか?いや、できる、しなければならない。

 

不思議だと思ったこと。

ちょうど一週間前、長年使っていた皮のレディース手袋を処分した。

まだ使えるものであったが、早漏不倫夫からのBirthday Presentだったのだ。

その代り、300円でスケート場で買った軍手を手袋代わりに使用していたのだ。

 

一つ手放したら…クリスマスプレゼントが届いた。

 

f:id:chinacchan:20171226234949j:plain