正夢・・?
夏休みも終わりに差し掛かった8月下旬。週末外に出かければ、仲の良い親子連れや父子を見ては、胸が締め付けられる・・・6月までは、出ていく直前、「パパ」を演じていた夫。
小学校の遠足でみいなが訪れた「グリーンセンター」
その公園を「今度家族で行きたい♪」と先生にも言っていたみいな。
それを実現した6月上旬。やっとこれた。とみいなはあいこの手を引いて、「こっちだよ、あっちだよ、」と案内が得意げだったね。
家族で来たかったんだよね・・・
みいなのパパは、どう感じていたんだろうね。
最後だから、あと数週間で俺は逃げるから・・・悪魔の心で笑っていたのかな。
すごい裏切りだよね。
今朝、みいなが面白いことを言った。
「今日ね、パパの夢を見たんだ。」
「パパはみいなに気づいていなかったんだけど、パパは女の人と歩いていたよ。彼女かな・・・パパと同じくらいの背で、髪が短くて、30代くらいかな、会社の人だと思う。」
私は背筋がゾッとした。
「みいなはね、パパに対してじゃなくて、その女に人に対して、すごい嫌だと思ったよ。嫌いって思った。」
リアルな夢だ。
週末、日暮里のお墓参りに行ってきたから、ご先祖様が、何か伝えようとしているのかな・・・夫の嘘を暴くために・・・
探偵をつけて、相手の女性がみいなの見た夢の女性だったら・・・
私が、夫が出ていく前、嫌な予感がして、3年前の不倫相手に慰謝料請求をしたのも。
出て行った当日、たまたま早く帰ってきて、出ていく夫と鉢合わせしたことも。
私には第六感はないけれど、きっと見えないもので私たちに伝えようとしているんだな、と思った。辛いことだけど。
「これがあなたの知らない本当の夫だよ、見てごらん、これが本性だから!」と。
引越し
夫が突如出て行ってから、まず初めに取り掛かったのは、家賃の安い部屋への引っ越しだった。
不倫夫は、私達を家賃14万のアパートに置き去りにして逃げた。婚姻費用を払うとはいっても、当然信用などできない。いざというとき、自分の給料でやっていける家賃でないとどうにもならなくなる。
巨大アパートの狭い部屋の空室はすぐに出た。
3人暮らしで十分な広さだ。引っ越したほうが心機一転、気分も少しは良くなるかもしれない・・・
悔しいのは、その家賃でも月10万。年収が400万ないと、契約できないのだ。
400万・・・かつては500以上稼いでいた私も、出産、育児で仕事をセーブしているうちに、年収は足踏みしていた。すべて家族のために自分を犠牲にしてきて・・・その間、夫はどんどん年収が上がり・・・誰のおかげで! そしてこうして妻を捨てて!!
悔しい。
もう一つの方法は、家賃を1年分前払いすることだった。
幸いにも、それを支払える貯金が私にはある。その理由は後日述べよう。
それでも、契約で150万の出費。
心はズタズタ、弁護士費用や新しいアパートの契約・・・
これで体でも壊したら・・・娘たちを守っていけない・・・
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T人事部長
これからの方針は決まったが、苦しい日々が続く。
なにしろ、調停は2か月後。日々子供たちとの生活は、あわただしく過ぎていく。
ふとみいなとあいこが口にする、「パパに会いたいな」や、「パパとね、」といったつい先日のパパとの出かけた話なのに、「あの時の優しいパパ」が一瞬で「あんなことをしたパパ」になった。そんな話を聞くのもつらい。会いたいよね、会わせてあげたいよ・・・じゃあパパはどうしてちゃんと話し合いをせずに出ていったのか。同じ話になってしまう。
つい子供の本音を聞くと、感情的になって夫の行為について発言してしまう。子供には関係のないことだ。夫の話をすると、子供に当たってしまいそうだ。
もう一つ、決めたことがあった。
元居た場所に帰ろう。
前職のT人事部長には、在職中からお世話になった。私が夫の転職のため、退職したときも、「何かあったら連絡してきて」と言ってもらっていた。嫌で辞めたのではない職場。そして、1月から勤務していた東京のH系列、ラグジュアリーホテルでの仕事が合わず、東京で他の仕事を紹介してほしい、と相談したこともあった。
『T部長、恥を忍んで連絡しています。あまりにも今自分に起きている出来事がつらすぎで、一人で抱えきれません。Sホテルで、私に務まるポジションはないでしょうか?あるなら、帰ります。』
T部長は翌日すぐ電話をくれた。
詳細は話さなかったが、事情を察したT部長は、『広島が好きなんだろう、帰っておいで。』
娘二人連れて帰る意味を考え、それなりの給料で、と言ってくれた部長。
また味方が増えた・・・ただただ、感謝、嬉しかった・・・親兄弟と弁護士にしか話せないことを受け止めてくれる人がいる・・・ケリがつくまで動けないと伝え、半年後を目標にした。
みいなとあいこにも宣言した。
「広島に、帰ろう!」
10月に東京に来て、学期途中でいきなり転校だったみいな。たった一人で約500人を前に壇上に立ち、気丈にも挨拶をしたちいさなみいな。
その後、からかわれて嫌な思いもした。学校に行きたくないと泣いた日もあった。担任の先生や友達のおかげで、転校生独特のトラブルも乗り越えてきたのにね。
1月お正月明けから、急にホームシックになったあいこ。毎朝、「保育園に行きたくない!」と泣き、保育士さんのたくさんのケアと愛情で、なんとかそれを克服したよね。
毎日保育園から帰ると、『ひかり保育園が良かった、帰りたい・・・広島に帰りたい・・・』と涙だったあいこ。「パパが決めたことだから、家族一緒がいいから、一緒に来たんだよ」いくら言っても、3週間は涙が続いた。望郷の念で、つらい思いをしたあいこ。
ちいさな娘たちも相当のストレスを感じ、克服してこの東京にいまこうしてなじんでいるのにね。私たちを連れてきたパパは、何も言わず、私たちを置いて、逃げた・・・
ここ(東京)にいる理由はもうない。
「みいなとあいこが、将来自分たちだけで、電車で1本でパパに会いにこれるように、日〇駅にしたんだ。」
勝手に言ってろよ!
勝手に出て行っておいて、「一人で来れるように、便利な同じ沿線にアパートを決めたんだよ」と?いかにも?思いやり?
胸糞が悪い。
ここにいる理由は、ない。
広島に帰ろう。
子供の面会中止
初めの娘たちとの面会後、次は「お泊りでもいいよ」と伝えていた。
弁護士と話し、方針を変えた私は、前日に中止を伝えた。
このお泊りを楽しみにしていたみいなとあいこ。わかっていた。
ちょっと遠くの動物園に連れて行ってもらうんだ、と。
お泊りのために、前回IKEAで枕を買ってもらったんだ、と嬉しそうだったのだ。
弁護士に強く言われていたことーそれは、
『パパに会わせないことをしっかり説明すること、そして子供の心をしっかりとつかんでおくこと。』
夕食後、私は二人に切り出した。
「パパはママと話し合いもせずに出ていった。勝手に出て行って、みいなとあいこには会わせろっていうのはおかしいと思う。話し合いで、お金のこと、これからの生活、ふたりと会わせるルールを決めなければならないのに、なにもせずパパは出て行ってしまったからママは困っているの。あした パパに会いたいのわかっているけれど、ちゃんと偉い人と相談してルールを決めるまで、パパには会えない。」
あまり本音を出さないあいこは、ママっ子なのもあり、あっさりと納得した。
一方、パパっ子のみいなは、直後から不機嫌になり、泣き出した。
私はあきらめずみいなをしっかり見つめて話をつづけた。
「お願い、ママは、パパが何もお話もせず出て行って、困っているの。こんな、捨てられたなんて話、だれにも相談できないの。おばあちゃんにしか、話せていないの。こんなにママは困っているのに、誰にも相談できないんだよ。だれも味方になってくれないんだよ。だからママは、偉い先生の所に相談に行ったの。そうするしか、方法がなかったのよ、わかって。偉い先生と、ルールをきちんと決めましょう、って決めたの。」
2時間はかかっただろうか・・・頭では理解したが、気持ちが納得いかないみいなではあったが、パパとしばらく会えないことをわかってくれた。
夫にはメールで通達した。
『第三者に入ってもらって、別居の条件を決めましょう。子供の件、会いたければ、「子の面会交流調停」を起こしてください。』
すぐに返事が来た。
児童手当の手続きを中断したことを逆恨みしているんだろう、云々。
しかし、思ったほど食い下がってこなかった。
そして、思った通り、その後も、面会交流調停は起こしてこなかった。
「おれはみいなとあいこを愛しています。」
別居後のメールに書いてあったけれど、本当にそうだろうか。
外面の良い夫。イクメンと呼ばれ鼻高々、子煩悩を演じ、子の行事には積極的に参加。こどももかわいがっていたが、一方的に出ていくほどの「よほどの事情」がある夫には、子供は邪魔なはずだ。父親であること、夫であることを己の欲望のために放棄した夫。
書きなぐりの娘たちへの別れの置手紙。
ここ数年、とくに感じていたけれど、感じないふりをしていた、夫を信じたかった。でも
やはり、「愛情」に乏しい人間だ。
子供を切り札にはできない。そこまで夫は、子供を愛してはいない。
一方、パパが大好きなみいなとあいこ。
こどもはいつでも、どこまでいっても被害者なのだ。
そして、その責任の半分は私にある・・・ズタボロの心にさらに背負いこむ負い目。
神様、私はどうすればよかったのか。
抱えきれない苦悩と悲しみと不安と憎しみと・・・運命を呪った。
味方
東京の弁護士を紹介してもらった。
私と同年代のI弁護士は、広島の元同僚から紹介された私に、とても親切だ。
I先生は、経緯を伝えると第一声こう言った。
「このだんな、何がしたいんだろうね?もう、地獄行きの急行列車に乗っているのに!」
「え?先生、そうなんですか?」
「そーだよ、こんなことして、子供捨ててよ、調停起こされて、子供にも会えなくなって、一つ崩れると、一気にガラガラと崩れるからね、仕事もうまくいかなくなるし。」
こんな依頼者もくるわけよ、弁護するけれどね、もしだんなが俺のところに来たらまずいうね、『とりあえず、まずいよ、いったん戻れ』ってね。」
そうだよね、わかっていても、された当事者の私は、つらいばっかりで、被害者で、俯瞰で見れないのだ。誰が見たって、夫がしていることは不利なことは明らか。
心強い味方ができた・・・
私の気持ちを汲み、円満調停と婚姻費用増額調停を起こすことで決まった。
同時に、子供の面会はいったん中止。子供に会わせろと言ってきたら、子供の面会調停を起こして、と言いなさい。と。
よく考えてみればそうだった。夫の求めるまま、一度子供たちを夫に会わせていた。
子供たちも喜んだ。おかげで、こどもたちから夫の住所までわかった。
でも、どこに住んでいるかもわからない人に、子供を預けるなんて怖い。
今は入居したばかりだが、これから現在進行形の不倫女のものが増えていき、生活感が出たときに、子供によくない、とI先生は言った。
たしかに。
現に、みいなは「トイレットペーパーが花柄だったよ。」と教えてくれた。
花柄は普通のより高い。そんなの夫が買うわけがない。
話し合いもせず出ていき、私が怖くて話し合いができなかった、というのは嘘だ。
本当のことが話せないから逃げるしかなかったことくらい、「突然の別居」=「不倫」はどのサイトをみても、方程式で決まっている。
方針を決めた。子供たちは夫に会わせない。ルールを決めるまでは。
でもね、味方を得た私だったが、毎晩毎晩不安と裏切られた悔しさと、見えない敵、夫と不倫相手のことばかり考え、胸が押しつぶされるような日々を過ごしていた。
第一回の調停が決まるのはずっと先・・第一回期日は、弁護士を委任してから2か月後だった。苦しい日々。
児童手当を私の口座に その②
なぜか夫も児童手当のことは躍起になっていた。
転居先で、児童手当の手続きをするのに、別居している私の課税証明書が必要だとか、なんとか。転居先でとりあえず自分名義で申請し、とにかく「とりっぱぐれ」がないように必死だっただけだ。
色々必死になっていた夫だったが、最後の「子供の健康保険を異動し、妻の健康保険の扶養とする」段階で、連絡が取れなくなった。
子供の保険の異動手続きをすすめていくうち、夫の会社の人事に連絡し、子供の保険の異動手続きがなされているか、確認してみることにした。
ドキドキした。なんと聞けばいいのか。
Nさんは、なぜ私が電話してきたか不思議がった。
当然だ。
夫から一度保険の異動は聞いていたNさんは、私の問いに、「でも、収入が多いほうが子供の保険の扶養となりますので・・・」と当然の回答をした。
夫は、Nさんの当然の回答を、己の身勝手な行為を説明することができないゆえに、それ以上の手続きをできないでいたのだ。
私は言った。
「それは存じています。でも、夫は、私たち家族になにも告げず、一方的に出ていきました。残された私が、児童手当を夫に横取りされずに受け取るには、この手続きが必要なのです。協力してもらえませんか?」
Nさんは「えっ‼」と絶句していた。
「では、今、ご家族は、〇区にまだ住んでいるのですか?」
「はい・・・Nさん、私たち家族が、夫の就職に伴い、広島から転居してきたことはご存知ですよね・・・?それなのに、私達、たった8か月で、捨てられたんです・・・」
私は声が震えていた・・・でも、言わなければ、必要な手続きができない。
Nさんは、電話越しに動揺を隠しきれない様子だったが、私の要望通り、異動の手続きを進めてくれることになった。
事情を話したけれど、改めて惨めになった・・・
出ていたかれた妻、捨てられた妻と子、のこのこと東京に付いてきて・・・こんなことになるなんて、なんて惨めで滑稽だろうか。格好の噂話のネタだ。惨めと同時に、夫への憎しみは増すばかりだった。
3年前の不倫の時のことを思い出して、フラッシュバックと今回のショックで、もう心はボロボロだった。
心の支えー理解者たち
児童手当の手続きや、弁護士との打ち合わせで、仮病を使って会社を早退していた私だったが、意を決して社長に事情を話した。
今の会社は6月に入社したばかり。転職の際も、夫に相談しながら、これなら、子育てと両立できると思って決めた会社だった。
でも、夫は、初月の私の手取りを確認すると、その5日後、一方的に出ていった。
転職後の私の手取りを「いくらもらえそうなの」と何度も確認していたのは、婚姻費用を自分で計算し、「ちなつにこんだけはらえば やっていけるだろう」と算段していたのだ。
悔しかった。捨てられるとわかっていたなら、もっと年収の高い会社を狙ったのに!転職したばかりでは、さらなる転職活動なんてできるわけがない。許せない。
恥を忍んで、社長へ打ち明けた。
社長は、休みのことは気にしなくていい、生活を立て直すために、必要な時間を必要なだけ取りなさい、自宅から仕事してもいいのだから、心配しないで、子供の達のために生活一番でやりなさい、と・・・
泣いた・・・
入社したばかり。有休もない。早退すれば、給与から引かれるのが当然だ。
親兄弟にしか話せなかったこんな惨めな話をできたのは、社長が初めてだった。
感謝しかなかった・・・・
一人でも、理解者が増えると思うと・・・ただただ涙が溢れた。