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不倫・人格否定・そして突然の別居!地獄の底から這いあがる!

己の不倫を隠すためモラハラで私を洗脳し、突如別居した元夫。残された娘と3人で、新しい自分へ成長するまでを綴ります。

3年前の不倫・その後

不倫相手の名前と住所、電話番号を入手した私。

当時みいなは5歳、あいこは4歳。かわいい盛りの保育園児だった。

パパが大好きな二人。子供たちはパパとママがいる家庭で育てたい・・・夫が謝罪しているなら、再構築の意思があるなら、私がここで我慢をすればいい。

夫を許し、慰謝料請求も今回はしない。そう決めた。

 

ただ、慰謝料請求はしないが、今後何かのために、武器になると考えた。

あの証拠写真と共に、有事の際に、武器にしよう。

 

夫は翌日不倫女Yに電話をし、別れたと言った。

 

不倫が終わったといっても、夫婦仲の信頼関係が取り戻せるわけなく、私は度々フラッシュバックに悩まされ、そのたび夫を責めた。夫にはそのたび、ちゃんと受け止めるよう言った。フラッシュバックは本当につらく、いつ来るかわからないので、「あ、あのころあんなこと言っていたのはXXXだったからだ!許せない!」

という思考回路で毎日苦しんだ。

 

こんな心理状態でも、私は仕事に毎日行った。どんな気持ちでいたか、もう覚えていないが、よく行ったなあ、と思う。

 

1か月ほどたったころ、今度は夫が数年にわたり、給料をごまかしていたことが発覚した。

少なく言って、自分の手取りを取っていたのだ。

私はまた怒り狂った・・・物を投げ、「出ていけ!」罵った。

 

夫は、今度は「ちなつが怖い」と言い出し、別居をしたいと言い出した。

私もそれでいいと思った。もう、不倫をしておいて、お金のごまかし、もうやっていけない!それに、まだ女と別れていないのかもしれない。

 

別居について相談をしに、私はM弁護士を訪ねた。

M弁護士は、子供が小さいことも考え、「別居すると、戻れませんよ。」と私を諫めた。

 

相談料は、いいから、と、言ってくれたM弁護士。

私はもう一度夫と話し合い、再構築を誓った。

  

 

その間、プライベートでは、保育園を通じて、仲良しのパパ&ママ友ができ、家族ぐるみで付き合える仲間ができた。ホームパーティーやBBQ、山のぼり、キャンプ、旅行、野球観戦、などなど、本当にいい仲間に恵まれて、私達夫婦は、少しずつ、絆を深め、再構築をしていった・・・と思っていたんだけれど。

 

ここで見限っていたら...その3年後に、本性身勝手・不倫早漏夫に、ここまで傷つけられずに済んだのかもしれない。

 

でも全部、後の祭り。

不倫勘違い野郎は、同じことを繰り返す。

 

 

3年前の不倫ー発覚

偶然か必然か・・・

3年前の不倫女Yに慰謝料請求し、内容証明を受け取ったのが6月30日。

その同じ日に

夫は私たちを裏切って、何も言わず、不在時に、勝手に出て行ってしまった。

 

 

3年前の不倫について語ろう。

 

3年前、私を半年にわたり人格否定していた夫。

妻として、母として、やることなすこと、突っかかってきては私を責めた。

家族で出かけて居ても、ちょっとした一言に文句を言い始め、私は納得できず、悔しくて、その商業施設へ一緒に入らなかったこともあった。それでも夫は「なんで来ないんだ、戻れ」と罵った。すべてを否定する夫に私は段々と委縮し、自信を失い、おかしくなっていった。

 

私をどう思っているのか尋ねると、いつもきまって

「正直どうしていいかわからない」

と言っていた夫。

 

『私さえこの性格を直せば、4人家族でいられる・・・私さえ我慢すれば…』

 

「そんなにわたしを責めるけど、じゃあ私は今まで、何の貢献もしてこなかったの?なにもいいところがなかったの・・・?」

すがるような思いで夫に尋ねた時、

 

「そうだな・・・子供たちの教育については、まあ・・・感謝してるよ...」

 

この時の夫の表情、態度、その背景の部屋の様子を昨日のことのように思い出せる。

そのくらい、私は追い詰められショックを受けていた。

 

6月のある日、突如「おれは子供たちを連れて実家に帰る、ちなつもその心づもりでいろ」と言い放った夫。

3月に新築マンションに入居したばかり・・・

このマンションは?生活は?なぜ突然??

 

私は頭の中が真っ白になった。

私の大切なみいなとあいこを連れて…出て行く??この新築マンションで私一人で・・・どうしろと??頭が混乱し、どうしていいかわからない。

 

その日の夜、寝室に行った夫に、私は力なく訴えた…

 

『私が悪かったのはわかった・・・でも・・・私は年齢的にもう子供を望めない・・・どうか、子供を連れて行くなんて言わないで・・・』

 

泣きながら、夫に訴えた・・・

もう、5歳と3歳のかわいい盛りのみいなとあいこを奪われるなんて…片腕をもがれる以上の苦しみだった・・・

 

 

前年秋より様子のおかしかった夫。

その時も、今回同様、人格否定。

 

何か怪しいと感じた私は、東京出張に月1で出かける夫を尾行してほしいと考え、探偵と会った。その探偵事務所の社長は、非常に怪しく、営業トークも怪しいものだった。誰にも聞かれない場所、カラオケボックスを指定され、社長の怪しいワンマンショーが始まった。

それに引っかからないとわかった社長は、世間話を始めた。「スキンシップが半年もない?そりゃ間違いなく浮気しているよ!」と言い放った。探偵に会った、つまり浮気を疑ったからだが、心の半分は、『夫に限って』とも思っていたが、怪しい社長の一言で、目が覚めた。

 

怪しい社長から、新しい考え方を学んだ。

 

家に帰って、夫の引き出しを漁った。

すると直ぐに、証拠が出てきた!

いつも出張時に持っていく、化粧ポーチの中に、

大量のコンドームが入っていたのだ!

 

やっぱりあの社長の言う通りだった!!

私は震える手で、その写真を撮った。相手は誰?まったくわからない…

 

夜、夫が寝室へ行った後、夫の携帯のロックを外そうとするも、出来ない。

財布を漁る。クレジットカードをいくつか手にしたところで、夫がリビングに戻ってきた。

やばい!

 

「何やってんだよ、何隠したんだ、見せろ。」

心臓が爆発しそうだった。

 

絶体絶命のピンチ!

 

よし、ここで勝負を賭けよう。

 

「何をしていたか知りたいなら、携帯見せて」
「いやだ」

 

「何で?やましくなかったら見せられるはず」→押し問答

「そう、じゃあ教えない」

「あんた私に何か言うことあるんじゃないの?」

 

足を組んで座った夫は、ため息をつくように「いずれ分かることだ。」と、わけのわからないことを言った。

 
「何か隠していることがあるでしょう」
「いや、ない」
「ああ、そう、で、いつ出ていくの?」※子供はおいていく、と前日言っていたので。
「残るかもしれない」
「いや、いいよ、どうぞ出て行って。別居しましょう。」
 
もう一度夫は大きくため息をついた。
「・・・わかった、正直に話す」
 

 

夫がついに白状した!

勝った!

 

夫に土下座させた。半年にわたり、私を苦しめてきた夫を罵った!

一番腹が立ったのは、発覚前、『俺がインポじゃないかって悩んでいた時、ちなつはちっとも心配してくれなかった。一緒に病院に行こうって言ってほしかった。』と責めていたのだ。今思えば、そんなこと口に出して言わなければ伝わるわけないだろう、という夫の責め台詞だったが、とにかく人格否定されてオロオロしていた私は、「ごめん、そんなに深刻だったなんて・・・真剣に聞いてあげられなくてごめんなさい、」と、自分を責めていたのだ。

 

『なにがインポよ、ふざけんな、おまえみたいな早漏野郎、どーやって満足させてたんだよっ!』

夫は本当に早漏だった。

汚い言葉で、夫を罵った!!恨みを晴らすように!!

夫は土下座しながら、力なく言った。

 

「ちなつにばれてよかった・・・ 止めてほしかった・・・」涙を流す夫を見て、

「やり直したいなら、相手の女の住所、名前を教えなさい。」

 

相手はSNSで知り合った東京のバレエ講師。なんと私より年上。

それで、ある時、みいなのバレエ教室の選び方について、文句を言ったのか。

「やらせるなら、ちゃんとしたところに行かせるべきだ」

仕事してるから、いいバレエ教室まで、送り迎えできないよ、という私に、「ファミサポ使えばいいだろう」など、自分は全くファミサポの面接や探すこともしないくせに、やたらと絡んで文句を言ったことがあった。

 

このくそ野郎!不倫女の意見を私にぶつけて文句言っていたんだな!

 

「この女に慰謝料請求するからね!そしたらあんたがこの女のダンナに逆に慰謝料請求されるんだよ!」

 

「それは・・・」夫の目は力なく私をすがった。

そう、この早漏夫と不倫女Yは

W不倫だった!

 

勝利の日、7月2日、時計はすでに深夜2時になろうとしていた。

でも、この後の苦しみ、フラッシュバックに苦しめられるとは想像していなかった。

もしかすると、再構築をしたこと自体、間違っていたのだろう。

今なら言える。不倫するやつは、繰り返す。

 

心の変化‐パニック期

 

人生最悪の日から一週間、七夕の日だった。

先週末、夫のいない3人での週末を過ごし、帰りに立ち寄ったスーパーで見かけた

七夕の短冊。

「みいな、書く?」

みいなとあいこは、今年初めてそでを通した浴衣を着て、短冊に願いを書いた。

 

『パパとママが仲良くなって、また四人家族で暮らせますように』

 

みいなが迷わず書いた。

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写メを撮って、夫へ送る。夫が何か感じてくれないかと思って・・・

切ない願いは届かないことはわかっていた私。

パパが大好きな子供たちをこんな想いにさせてしまって、それでなくても裏切られて心がズタズタなのに、申し訳ない気持ちで胸を締め付けられた。

自分だってまだ現実を受け止められず狼狽えているのに、子供たちの心の変化も気を配らなければならない。それなのに夫はのうのうと自由時間を楽しんでいるなんて許せないと思った。

 

岡野あつこさんによると、私は次の段階へ入ったようだ。

第2段階 パニック期
離婚を突きつけ自分を奈落の底に陥れたパートナーに対して怒りや恨みの感情が湧き激しく罵ったりする。その反面、自分のどこがいけなかったのか? あの時こうしていればこんなことにはならなかったのではないか? などと自責に向かう。絶望と悲しみでノイローゼやうつ状態になることもある。

「奈落の底」そう、信じていた夫に、突如突き落とされ、地獄の底でもがき苦しんでいた。

出ていく10日前に、話し合ったのに? 夏休みの予定も決めていたのに?腹の中で笑っていたんだよね、「おれ、そのころ、いねーよ」って。

夫は私の4月のプチ家出から気持ちがなくなったといったが、東京へ行きたい、と言い出した時からもう企んでいたのではないか?「ちなつは広島に残るか、一緒に東京に来るか、決めていいよ。そりゃ、俺は家族についてきてもらいたいと思っている・・・もういちど、東京で仲良くしようよ・・・」家族一緒がいいと思ったから、3年前の不倫があり、離れ離れが不安だったから、夫を信じ、すべてを置いて、東京へ来た。

「2択を選んだのはちなつだろう、自分がえらんだんだろう、『あなたのために来た』というのは違うだろう!」と責めた夫。

 

東京へ来てからの夫の様子を思い出してみた。2016年10月23日からだ。

私はみいなの学校の準備、あいこの保育園の申し込み、みいなの習い事の場所探しで忙しくしていた。夫は仕事のことは多く語らなかった。

2017年、正月、普段通り。2月、結婚前からお世話になっている長野の夫妻を訪ね、再会を喜んだ。2月下旬、スキーと、久々のデートで、誕生日のプレゼントを買ってもらった・・・思い出すと、2月下旬、私の発した些細なことで夫は機嫌を損ね、出先の店前で長時間にわたって責められた。ほとんど私の人格をだめだしすることばかりで、夫の怒りが収まるのをただただ黙って聞いていた。「そこまで責めるなら、離婚すればいいじゃない」と思わず言ってしまうほど責められた。3月、楽しみにしていた広島帰省。あいこの卒園式と、仲良しの家族と再会。

4月、広島から上京した友人家族と夕食。会う前のモールで、ウインドウショッピングに付き合っていた私に対し、突如機嫌が悪くなり、態度が気に入らないと文句。

4月2日、夕食後、またしても私の発した些細な言葉に過剰反応し、怒り始める。今まで怒らなかったようなポイントで怒りスイッチが入り、大きな口論に発展。私はぶち切れた。家のこと、子供のことを一手に引き受けてやっているのは私、夫は自分の決めた家事以外、言わなければ一切手伝おうとしない。それなのに、そこまで私を責めるなら、自分で弁当作り、子供の学校の準備をしてみなさいよ!と啖呵を切って、ホテル暮らしをするつもりで家を飛び出した。・・結果、ホテルはどこも開いていなく、数時間のプチ家出だった。その日の夜、話し合ったものの、手渡された本で、「みいなは愛着障害なんじゃないか」と言われる。

 

夫の心はどこから離れていったのか?いつから私を裏切ろうと計画していたのか?

ゆっくり思い出しても、夫のことがわからなかった。

 

後日電話で何とか話すことができた夫に問いただす。

「あなたはこれからどうするつもりなの?戻ってこないってことはどういう意味なの?」

なかなか「離婚」という言葉を言わない。

「一旦距離を置くのか、それとも・・・離婚に向けた別居ってこと?」

自分からいうと不利になると算段があるのか。

「そういうことだ」といった。

 

翌日のLINEには、

「離婚届けは、用意出来次第送るけど、8月はみいなも引越しでばたばたしているだろうから、話し合いはゆっくりでいいよ。」

 

「私は離婚したくありません」というのが精いっぱいだった。

 

「離婚しないのは、俺と一緒にいたいからですか?それとも復讐ですか?」

 

このセリフに、さらに奈落の底に頭から埋め込まれた気になった。

「離婚」・・・突如話し合いもないまま出ていき、一方的に離婚へ向けての財産分与など言ってくる夫に、心がついていくはずがない。たった2週間で離婚を迫る夫に納得などいくはずがない。

 

頭ではわかっている、もうこの人は帰ってこないし、こんな極悪非道を強行した人とは、もう戻れないと。でも、心が準備できていないのだ。

ふつふつと怒りが湧いてきた。

いくら私が、夫が言うように「愛着障害」で夫を支配しがちな時があり、それで夫が私に気持ちがなくなった原因だったとしても、それはこの夫の裏切り行為と同等なのか・・・?

頭に真っ先に浮かんだのは、夫が出ていく2日前に突然聞いてきた、ペアのワイングラスのことだった。

「あの、〇からもらったワイングラスはどこにしまってあるの?」

転職ばかりする夫が、いくつ目かの会社を辞めるとき同僚に貰ったペアのワイングラス。ワインを飲まない夫と、酒を飲めない私には、残念ながら日常使いにはならない高価なもったいない品だった。

 

なぜ?あのワイングラスを持ち出したかったのか?

ワインを飲む相手がいるのではないか?

 

3年前の不倫を思い出した。

3年前の不倫が発覚する前も、私の人格すべてを否定し、やることなすこと、揚げ足をとるように責められ続けていたことを思い出した。「わたしにどうしろと?」と問うと「わからない」を言い続けた夫。スキンシップを避けていた夫-今回と同じ!!!

不倫している!!!絶対!!

 

翌日、私は広島でお世話になった弁護士に電話をし、東京の弁護士を紹介してもらった。

 

衝突~子育てでお互いを成長させる

夫は優しいのか?初めての子育てで、お互いが成長する。

 

2005年に結婚。知り合って4年、アメリカと日本の遠距離恋愛1年半、義理両親の大反対、色々乗り越え結ばれた。結婚なんて興味のなかった私が、「この人なら」と思えるほど、穏やかで、優しくて、一緒にいて心地が良かった。

 

結婚1年目の日記には、

『私のこれからの人生、ずーっといいことが続きますように。長生きして夫とずっと暮らせますように・・・』

 

忌まわしい十代を過ごした私は、これからの人生は、いいことしか起きないはずだ!

そう信じないと、希望が持てないくらい、傷ついた心を隠して20代を過ごした。

 

結婚3年目の日記は、第一子を授かり、初めての産休に入り、幸せな一人時間を過ごしていた時。

  • 『私の性格のせいで、何度も衝突した。反省するんだけれど、自分を変えることができなくて反省ばかり・・・大好きな人と結婚したんだもの、大切にしなければ』

 

夫はみいなが生まれても、飲みに行く回数を減らしたり、早く帰ろうとしてくれなかった。ちいさなみいなと二人きり、産後の肥立ちもよくない私は、夫の帰りを今か今かと毎晩待った。誰かと話したかった、初めての不安だらけの育児。

泣き叫ぶみいなを抱いて電話をしても、酔っぱらって受け答えが出来ない夫だった。

本当に、酒癖が悪い。そして、帰ってきて、少しの嫌味ですぐに食って掛かった。

大声で夜中に怒鳴り散らしたこともあった。そのたびに、私の言葉尻をとらえて食って掛かる。

みいなが生まれた翌年の日記には

  • 『酔って帰ってきた夫が、私の言い方がきついと暴れた。追い詰めるような言い方をやめてくれないと、俺はちなつと生活できなくなる。』

全然私の気持ちを分かってくれない!感情的になった私は、いつも言い過ぎてしまい、追い詰め、『俺は千夏じゃないんだ!』と。私の言い方が悪かったのか、酔って人格が変わった夫が悪かったのか、何度も夫と衝突した。

 もっと夫に甘えたいのに・・・

愛情・・・夫に労わってほしかった・・・甘え・・・今思えば、私の歪んだ甘えと、愛情の元々薄い夫とは、相なれなかったのかもしれない。

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 2008年12月生まれたばかりのみいなー初めての育児で戸惑ってばかり。夫と二人で試行錯誤してやったっけ。

 

子育てで、私たち夫婦が、成長するためだったんじゃないだろうか。

 

 

愛着障害ー誰の事?

 

愛着障害』のことを知ったのは、2017年4月上旬、夫と激しく口論になり、家出を試みたものの、ホテルが取れず数時間後に帰ってきた夜だった。

愛着障害の克服』精神科医 岡田尊司先生の本。

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本好きな夫が「これを読んでみろ、ちなつのその激しい感情は、ちなつが幼いころに体験したことに関係あるんじゃないのか。」

まだ喧嘩の興奮が冷めず、『何よ、私のこと全然わかってくれない、昔の体験が何よ、一生懸命やっているのに・・・』といつものふてくされた顔で本を受け取った。

私は本をほとんど読まない。その私がこの本をなんとなくめくって、そこで釘付けになった。私には、指摘をされると否定できない悲しい幼少期の体験があった。

 

その日のうちに、岡田先生の関連クリニックを調べ、カウンセリングの予約をした。

夫との仲が変わるなら・・・そんな思いもあった。

 

しかし、この本を私に渡した夫の本当の意図を、後日知ることになる。

人生最悪の日のカウントダウンがこの日から、いや、もっと前から始まっていたのだ。

 

人生最悪の日‐地獄に突き落とされ

 

6月30日

この日を私は一生忘れないだろう。

それとも、これから待ち受けている素晴らしい未来のための、記念日になるのかな?

数年後はそう思いたい。

 

朝、私のことに興味がないとは思いながら、夫に「今日は午後健康診断なんだ。午前中でこの近くの病院に行くんだ」

夫が、珍しく、どこの病院か、何時からか、聞いてきた。

そして急に「今日朝の会議があるのを忘れていた。早く会社にって準備があるから」とみいなが「パパ今日も早い?」

「うん、いつも通りだよ」7時過ぎに早めに出社した。

普段通りの風景だった。

 

実は私は午前中会社にはいかず、別の会社の面接を受けていた。色々思うところがあったからだ。そして11時半ごろ帰宅。EVを降りて突き当りの自宅前を見ると、ブロックがドアの前に置いてある。あれ?こんなの朝出していなかったけど・・・?なぜ?

ドアの前に立つと、ふわっと嫌な感覚がした。

鍵が開いているとわかっていた。なぜだか。

ドアを開けると、右の靴箱の夫の靴がすべて無かった。

 

「え??」

部屋に目をやると、段ボールがいくつも・・・

 

「え?どういうこと?」狼狽しながら部屋にはいると、クローゼットは空っぽ、段ボールに残りの荷物を投げ込んであった。

夫は居ない。

「え・・うそ・・どういうこと・・・」頭が真っ白になり、夢であってほしいと祈りながらただ狼狽えていると夫が戻ってきた・・・

 

「帰ってたんだ・・・」

「これ、なに?どうして?」

「俺の気持ちは伝えただろう、こうするしかなかったんだ。」

「まってよ、どうすればいいの、私達・・」

「路頭に迷わすことはしない、お金は送る」

「ええ、話もしていないよ、待ってよ・・・・子供たちは・・・」

「みいなとあいこには手紙を書いた。ちなつにはあとでメールするよ」

「なんで!?東京で働きたいっていうから、すべて捨ててついてきたのに!?」

「なんでおれを広島に連れて行ったんだっ!!」

 

6年前、夫婦で話し合い、私の実家のある広島で子育てがしたい、と、夫に了承してもらい、広島に5年間住んでいた。

当初は仕事のストレスや、気持ちのすれ違いで危機はあった。3年前の不倫もその延長だった。それでも、困難を克服し、友達にも恵まれ、楽しく暮らしてきたのに。

今頃それを持ち出して吐き捨てるように、

夫はスーツケースを引いて、行先も告げず去ってしまった。

ベランダから下をのぞくと、ハイエースに荷物を積んでいる夫が見えた。

冷静に写メを撮った。

ここまで計画していたなんて・・・・

 

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裏切り、嘘、一方的な別居 思いつく限りの非情な言葉が次々と空から降ってきて、私の心と全身に突き刺さる。身も心も血だらけ。

これはすべて、私が愛して結婚した夫がしたことなのか・・・?

みいなとあいこの大好きなパパなのか・・・?

 

なみだはすぐに出なかった・・・抜け殻のようになって、無気力のまま健康診断に行った。

母に電話をした。そして、初めて泣いた・・・

午後4時過ぎ・・・娘たちがキャッキャいいながら帰ってきた。廊下にかわいい声が響く・・・この娘たちが夫の置手紙を読み、事態を把握して、どんなに傷つくか・・・

 

今度はその恐怖と、一生の傷になることが、今まさにこの子達に起ころうとしてるのをわかっていながら救ってあげられない無力感でどうしようもない怯えた母のまま、私は「おかえり」というのが精いっぱいだった。

夫婦の問題は、私の問題でもある。愛する娘たちが手紙を読み、はじめは「ん?」と二人で笑いながらヘラヘラしていたけれど、10秒後には、嗚咽を上げて泣いた。

ごめん、ママのせいでもあるんだ、でも、ママもまだ、自分たちに起きている事態を理解できないでいるんだ・・・『ママがいるから大丈夫』って、励ますことも出来なかった・・・そして、3人で、嗚咽をあげながら泣きじゃくった・・・

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