3か月ぶりの面会交流と久しい涙
2か月も待った第一回調停。
円満調停、婚姻費増額調停、子の面会交流調停
3つの論点の中で、婚費と面会についてが急を要すると判断され、論点となった。
しかし夫は婚費の根本となる月収を証明するものを、わざと昨年度、広島にいたときの「給料が下がっても広島に骨をうずめる」とうそぶいた会社の、年収が低い源泉徴収票しか出してこなかった。今と年収が300万も違うのに!
何度も給料をごまかし、今年2度のボーナスも隠していたんだ、そのくらいの姑息な手は想定内だった。
婚費については夫の証明が不足ということで持ち越しとなり、結局決まったのはみいなとあいことの面会交流の日程だけだった。
某日、10時から15時の5時間。
みいなとあいこはとても楽しみにしていた。
数日前から、「もうすぐパパに会える。」とワクワクしてた。
裁判所のガイドラインで、「笑顔で送り出すように」とあったので、努めていたが、
前日から、ここのところ思い返してもいなかった『私の結婚生活』をリアルに思い出し、心は沈み込んでいた。子供に恵まれたからこそ、家族でこの子達を育てていくんだ、という思いで、夫婦の危機を乗り越えてきたんだけどな・・・尽くしてきたんだけどな・・・無邪気にパパに会える喜びを表す娘たちを見て、パパとママがそろった家族、パパとつい数か月前まで、週末は出かけて、楽しい時を過ごしていたのに、なぜ今『パパに会える!』と喜ぶのか・・・?と、『パパ』を放棄した夫を慕う娘たちに対し、複雑な気持ちになった。こどもたちだって、パパと以前のように過ごしたいのに・・・。こんな当たり前の親子の関係を、突然別居というかたちで断ち切り、離婚を求めている夫が憎らしくて、まるで出て行った後の数週間の時の気持ちが戻ってきたようになり、笑顔が消え、涙ぐんだ。鎮静剤を飲んでもおさまらないひどい頭痛が、私の気持ちを察したかのように同時に襲った。
秋晴れがきれいな某日、みいなとあいこは、私に時折気を使いながらも、はじける笑顔で面会に出かけて行った。
私は買い物もかねて、秋晴れの気持ちの良い外を買いものを兼ねて散歩した。
そうでもなければ、昨夜の思いを引きずったまま、もやもやしてしまいそうだったから。
それでも、買った雑誌にふと、「2005年」をいう文字を見つけ、「私たちが結婚した年だな。」と心に引っかかってしまい、そこからまた「なぜ?」「子どもたちをパパとママがそろった家庭で幸せに育てたかっただけだったのに・・・」「夫と、一生添い遂げるつもりで結婚したんだけどな。」との気持ちが芋づる式のように出てきて、私はみいなとあいこが外出している間苦しんだ。これは、執着心なのだろうか?数か月前の、直後の夫への執着ではなく、「私の結婚」への執着なのだろう。夫への気持ちはとうに整理がついていたが、自分が守りたかった「結婚生活」については、自分の目指していたゴールだけが虚しくきらきらと心に残っているのだ。
約束の時間通りに帰ってきたみいなとあいこは、私の予想通り、上野動物園につれていってもらっていた。
「楽しかった」という二人。でも、どんな話をしたのか尋ねても、「忘れた」という。
私に気を使っているのだ。
様子を話したがらない二人と、私の間には、壁ができてしまっていた。
しばらく話をしたあと、みいなが言った。
「みいな、やっぱりパパと住みたい。」
これは、考えようによっては、
①ママとではなく、パパと暮らしたい。
②パパに家に戻ってきてほしい。
①だととらえ、動揺した私。「それはどういうこと?ママと離れてもいいから、パパと暮らしたいってこと?パパ、あなたたちを置いて勝手に出て行ったのに?」
これは、「パパとママ、どっちが好き?」と究極の選択を迫っているようなものだった。離婚時に、「どっちと暮らしたい?」と。
まだ7歳と8歳。素直にパパを愛する感情が溢れる年齢。ひどい目にあわされても、パパに会うと、愛がチャージされるのか。それはそれで、面会交流の意味がある。
子どもたちにこんな質問をするなんて・・・しまった、と思った。
「私も一緒に行きたかったな」とぽつりとみいなにこぼした。
これは、夫への執着ではなく、「結婚『家族』生活」への執着なのだ。
私はこれからシングルマザーとして、私の目指していた『家族』とは別の目標を立て、みいなとあいこを愛情たっぷりに、「新たな家族像」として歩んでいきたい。いや、そうすることが、夫との結婚生活の『亡霊』を断ち切る唯一の手段なのだ。
同時に、この面会交流が、子供たちを混乱させるのではないかと疑問を持ち始めた。
「パパ、帰ってきて」と伝えたみいな。
パパは、「うーん」とうなっていた、と。
調停で、「離婚の意志は固い」と言っていたのだから、「無理。パパ離婚したいから」と言えよ。
父親の愛情が引き続き注がれることは大切だ。
だけど、どんな理由があるにせよ(不倫が理由だとか、夫が言うように私が「怖い」からそうするしかなかったとか)、何の話し合いもせず、子供たちにも当日朝嘘をつき、置手紙だけで出て行ったパパは、きちんと話しあいをして離婚となった巷のパパとは違う。
みいなとあいこは、心が成長してくる10代に、自分の経験したパパの裏切りを、どう理解するだろうか。
それを想像すると、私は得も言われぬ悲しさに襲われる。できることなら、パパを憎む気持ちを無くしてあげたい。でも、娘たちが受けた悲しみと現実は、私は隠すことができない。
出て行った日の夕方、廊下から何も知らず、きゃっきゃと元気に帰宅してきたみいなとあいこ。部屋に一人、みいなとあいこ宛ての置手紙を隠すことも出来ず、ただ、これから悲しむ愛しい娘たちを悲しみから救うことができなかったあの時の、『悲しませたくないけれど、どうしようもない』無力感と同じ気持ちになった。
娘たちを人生最大に悲しませた夫は、自分の都合のいい時だけ「パパ面」してみいなとあいこに会う。