生活費いやがらせと通知書
第一回目の調停は9月末。裁判所に申し立ててから約2か月。長く長く、それは苦しい日々だ。
早く決着して広島に帰りたい…
そればかり毎日考え、祈り、街を歩くとき、そっと目を閉じてはその風がまるで広島にいるかのように妄想し、精神の均衡をとっていた。
そうでもしなければ・・・夫は家族を捨てた自責の念などなく、すべての責任を私のせいにし、のうのうと、のびのびと、お金を自由に使い、早漏だけど女と遊んでいる!と恨み言のほうへ引っ張られてしまうから・・・
妄想しなければ、やっていけなかった。
夫が突如逃げ出してから2回目の給料日が来た。
「やっぱり、生活費を振り込んでこなかった。」
当初双方で決めていたのは、初月14万、その後13万だった。
その13万円でさえ、振り込んでこなくなった!
私は、大丈夫、家賃の先払いはしているし、贅沢しなければ、給料の半分を家賃に持っていかれても、なんとかなるだろう・・・ でも、
許せない!
その直後、夫弁護士よりFAXが届いた。子供の面会を求める要望書だったが、それはそれは世間の人が見たら「バカじゃないの!?」という勝手な要望だった。
- 年間100日程度(具体的には、隔週の土日連日、平日の夜に1~2日、および年に数回の長期休暇に3日以上の連泊
- 夫と子らだけでの面会交流
- 旅行連れ出しの自由
- 子らが、私を介さず直接夫と連絡できる手段の確保 子ども携帯など
- 交流とは別に、子らの学校行事等の参加の自由
そして最後に、初回期日前の9月2日、土曜日、午前9時~午後8時を面会希望とするので私の意向を聞いてくれ、というものだった。
I弁護士は、面会交流100日を見て、一言。
「じゃあ一緒に住めよ!」っつー話だ!
これには心当たりがあった。GW前に、様子がおかしかったので話し合ったとき、「GW中にアパートでも探そうかと思っている。」と言ったので、驚いて、そんなことしないでほしい、となんとか思いとどまるよう話、合意した。(と思っていたのは私だけだったようだが。)
その際、別居しても、アメリカの離婚した友人夫婦の所の子供たちのように、隔週双方の家に行き、交流しているのを知り、「アメリカ式」で「あんな風にできたらいい」とボソッと言っていたのだ。
それよりも、I弁護士が怒っていたのは、こちらが起こした円満調停に対し、何の回答もこちらへせず、(離婚の別居なのか、距離を置きたい別居なのか、それとも戻る意思があるのか等)ただ要望だけ言われても困る!ということだった。それに、子の面会交流調停を起こしてルール決めするまで子供たちに会わせない、と通達してから約1か月、夫は私からの調停申し立て通知がくるまで、何のアクションも起こしていなかった。この要望書が来た時も、子の面会交流調停を起こしていなかった。
私の意向を聞くまでもなく、I弁護士はぴしゃりとこの要望書に即日回答した。
突然に別居に至った理由(妻子は夫に「捨てられた」との認識です)及び今後の方向性が定まらないままでの面会交流の実施は,未成年者の福祉にも反します。
この通知書。
子の面会と引き換えに、生活費をストップしたのだ。
もう、卑劣、卑怯、非情、悪魔・・・ありとあらゆる最低の形容詞が並ぶ。
その日の朝まで、何かあったら助けてくれると思っていた人は、6月30日、私を背後からナイフで八つ裂きにした。
こんな人だったんだ、私が夫に選んだ人は。
愛しいみいなとあいこの大好きなパパは。
ここでいつも涙を流していた私はもう居なかった。
あきらめの境地。受け入れなければ、前に進めなかったから。