引越し
夫が突如出て行ってから、まず初めに取り掛かったのは、家賃の安い部屋への引っ越しだった。
不倫夫は、私達を家賃14万のアパートに置き去りにして逃げた。婚姻費用を払うとはいっても、当然信用などできない。いざというとき、自分の給料でやっていける家賃でないとどうにもならなくなる。
巨大アパートの狭い部屋の空室はすぐに出た。
3人暮らしで十分な広さだ。引っ越したほうが心機一転、気分も少しは良くなるかもしれない・・・
悔しいのは、その家賃でも月10万。年収が400万ないと、契約できないのだ。
400万・・・かつては500以上稼いでいた私も、出産、育児で仕事をセーブしているうちに、年収は足踏みしていた。すべて家族のために自分を犠牲にしてきて・・・その間、夫はどんどん年収が上がり・・・誰のおかげで! そしてこうして妻を捨てて!!
悔しい。
もう一つの方法は、家賃を1年分前払いすることだった。
幸いにも、それを支払える貯金が私にはある。その理由は後日述べよう。
それでも、契約で150万の出費。
心はズタズタ、弁護士費用や新しいアパートの契約・・・
これで体でも壊したら・・・娘たちを守っていけない・・・
引っ越しはお盆。
同じ棟の別の階の引っ越し。荷造りはしない。70を過ぎた母が広島から応援に来てくれた。
事務所で台車を借り、重いものだけはシルバー人材センターの2名を雇い、運んでもらった。
新しい部屋でほっと一息の夜。母を前に、私は子供のように泣いた。
私が小学生の時離婚した母。その後の母の男性関係で、思春期を迎えた私は心も体も傷つき、母に対してはある確執もあった。
でも、こんな時、一番そばにいて理解してくれるのが母だった。
無条件で、私を受け入れてくれる・・・母には、弁護士のような知識や力はなくとも、現状を打破する魔法はなくとも、惨めでボロボロになった私には、聖母のようだ。
悔しいよ・・・惨めだよ・・・何のために、仕事をやめ、こだわりの家を売り、子供たちもそれなりに苦労して東京へ来たのに・・・東京オリンピックが終わったら、東京にマンションを買おう、って言ったのに・・・8か月で騙され、捨てられるなんて・・・
安心感の中、気のすむまで涙を流した。
みいなとあいこは、広島にいたころよく甘えていたように、おばあちゃんに存分に甘えた。
お盆が終わり、3人暮らしが始まった。