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不倫・人格否定・そして突然の別居!地獄の底から這いあがる!

己の不倫を隠すためモラハラで私を洗脳し、突如別居した元夫。残された娘と3人で、新しい自分へ成長するまでを綴ります。

前回の調停で決まっていた子の面会交流。次回は午後5時まで、という要求を断り、調停員にも「3時でも大丈夫」と言われ、前回同様10時~午後3時となった。

私はこの「パパに会える日」をみいなとあいこに前日まで言わないでいた。指折り数えて「パパに会える♡」という子供たちのシグナルを見るのがつらかったからだ。みいなとあいこに罪はない、でも、突如出ていき、子の養育という重大な責務を突然一人で負わされた私、母。母に気を使ってまでパパへの愛情表現を我慢する必要はないけれど…ないけれど…必死にこの数か月やってきた私には辛いのだ。

 

面会の前日、「明日どうする?どこいく?」と尋ねる二人に夕食時、伝えた。

さほど反応は見せず、二人は当日朝、神妙な面持ちで出かけて行った。

 

私はネガティブな想像をして苦しむ時間を作らないよう、最近始めた「副業」の予約をたくさん請け負い、そちらの仕事で忙しく一日を過ごした。

 

みいなは、来月の自分の誕生日用として、ほしかったお姉さん仕様のリュックを買ってもらっていた。二人は人ごみのイベントへパパと出かけ、ランチとショッピングを楽しんだようだ。

不思議と、前回の直後のように、みいなが「パパとやっぱり暮らしたい」ということは無かった。前回それを口にしたことで私がひどく取り乱したことがあったからだろうか、いや、むしろ、『もうパパは帰ってこない。』という「諦め」や「割り切り」を感じているようだ。

その日から数日は、私にいつも以上に甘えたみいなとあいこだった。

私は不思議と、前回のような「何を話したの?なんて言ったの?xxxって言ってた?」といった質問もなく、「どうでもいい」と心から思った。

 

それはなぜか?早漏不倫夫が突如私たち家族を捨てて出て行って5か月。裏切られたショックと残された子をどうやって養育しようかと不安な日々を過ごし、新たな嘘にさらに傷つき…仕事も家も友達も奪われ、連れてこられた東京で、事情を知らない知り合いから隠れるように暮らす日々のなかで、みいなとあいこと、3人の絆が本当に強まったからだ。

 

『三人の絆』

 

これがあるから、これがゆるがないと確信したから、二人が史上最悪の夫=パパ と会おうが、何を話そうが、「関係ない」と思えたのだ。

「間違ったパパの認識が母親より植え付けらえているから、カウンセリングを…」

もうどうでもいい。負け犬の遠吠え、とでもいおうか。

 

時々みいなが言う。

お風呂を沸かして3人で入っているとき。

「あ~3人家族で良かったぁ~」

それ以上ママの突込みが入らないように、か、すぐに話題を変えてしまうが。

心からのほっとする言葉なんだろう。

みいなは小学校3年、あいこは1年生。

 

この安心した心を私はこれからも守っていく。

 

信じていた人に、突然背後からメッタ刺しにされた…その後の私。

2か月待って第一回調停。

それから1か月待っての第二回調停。

 

夫婦間円満調停婚姻費用分担調停子の面会調停 3つの案件を話し合う必要がある私たちの調停。一回目では子の面会調停をとりあえず実現させ、子供の様子を見て、ルールを決めていく、ということだった。3か月ぶりの面会交流の様子について、調停員に話した。

 

今回の主な論点は、「婚姻費用分担調停

夫はやっと過去三か月分の給与明細を証拠として出してきた。

二人の年収に基づいた金額より1万円ほど多めに夫側が提案してきた。

本当はもっとよこせと申し立てていたが、T弁護士は、「いい金額」と。

その金額で合意した。そして、2重どりされていた建て替え光熱費などをすべて清算し、裁判官が調停内容の原稿を書いて、調停調書の内容を読み上げ、当事者に確認させる。私はそこに夫と同席を促されたが…早漏夫の姿を目に入れることも虫唾が走るほど嫌だったため、T弁護士に代理で行ってもらった。

 

その後は次の争点、子の面会調停について夫の意見書が出された。

前回は、週3回の面会、隔週の宿泊、年100日の面会などと、ふざけた内容であったが、今回も、意見書は「?」であった。

 

〇子ども携帯を持たせ、直接子との連絡手段の確保

〇月4回の面会交流。うち1度は宿泊、行先の制限なし

〇家族カウンセリングを受けさせることの許可 

 

T弁護士も、調停員さえも、「フッ・・・」と鼻で笑っていた。

家族カウンセリングを受けさせることの許可 

については、理由として、

 

『妻は子供たちに、夫のネガティブなことを言い続けており、福祉的観点からふさわしくない環境である。特に、『パパに捨てられた』という間違った思考を植え付けられているので、それを払拭し、健全な父子関係のために、家族カウンセリングを受ける必要がある。

 

当事者の私は・・・言葉では言い表せられない感情が湧いたが、このナンセンスな主張をする夫を理解しようとする回路がもうなくなっており、感情はすぐに平常心になった。

6月30日、様子はおかしかったが…こんなに大胆に…尽くしてきた家族を捨てた夫。

 

まるで、背後からナイフで突然八つ裂きにされたショックで、私は涙の日々を過ごし、

子どもの前で来る日も来る日も泣きじゃくりながらも、仕事に、子育てに、お出かけに、と必死に耐え忍んできた日々。母の涙を毎日見ていた子供たちに、「夫のネガティブな事」をどう隠すことが出来ただろうか。

 

みいなとあいこに、殴り書きのような置手紙を残して、突然出て行った早漏夫。

『パパに捨てられた』という間違った思考を

植え付けられている』

 もう一度言う、

「みいなとあいこに、殴り書きのような置手紙を残して、突然出て行った早漏夫。」

 

早漏夫の主張は、「ちなつが怖くて、話し合いが出来なかった」から、「仕方なく」こうして黙って出ていくしかなかった、である。

 

早漏夫目線で言うと、『パパは黙って出ていくしかなかったんだ。』

世間目線で言うと、『パパは、不倫していて、その事実をママに言えなくて、逃げるしかなかったんだ。』

 

早漏不倫夫よ、お前は、私を「愛着障害」だと責め、モラハラし、己の欲望のために家族を捨てたんだよ。

どうか、捨てた子供たちに執着せず、不倫相手と後ろを振り向かず、清く去ってくれ、

あ、養育費はお願いね。

 

嘘で塗り固めた夫の主張に家族カウンセリングだと?

嘘の上に、子どもたちにさらなる嘘を重ねてどうするつもりだ?

 

新手の新興宗教なのか?

 

私は3年前の不倫のことも、今回の不倫確信について、子供たちに話してはいない。

まだ小学校1年生と3年生。二人の大好きなパパの、あまりにもつらすぎる事実ではないか。

 

みいなとあいこには言ってあるんだ。

 

「大人になったら、語ろう。」と。

 

背後からメッタ刺しにされた傷の痛みはだいぶ感じなくなってきた私。

 

傷がなくなるわけじゃない。刺された事実が消えるわけじゃない。

 

子供たちが幸せそうに眠るころ、私は一人で、「なぜこんな目にあうのか」と考えても仕方のないことを考える。いくら私が家で時折イライラしていて、不倫夫が家庭で休まらなかったとしても、こんな仕打ちは「それ相応」ではない。仮に私が早漏夫にDVをしていて、文字通り『怖かった』なら「自業自得」だろう。

 

3回目の調停期日が決められた。次回は、夫婦関係調整が争点だ。

こんな別居の仕方をしてしまった夫側からは、いくら離婚したくても、離婚の条件をもちだして話すことは無駄である。まったくもって不利だからだ。私の出方を待つしかない。

I弁護士、T弁護士は、3回目の調停で、子の面会調停と夫婦間円満調停を不成立にし、かわりに離婚条件を示す方針を私に提案した。

 

同時に、私は3年前の不倫相手、Yに対し、

不倫慰謝料数百万の支払いを求める請求を某地方裁判所に提訴した。

 

幸せな自分を取り戻すために。みいなとあいこを守るために。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コスモス

前回の調停から3週間、毎月一回の調停はそれは長く長く、早く前に進みたい私には辛い「待ち」の時間。毎朝いつも通りに子供たちに食べさせ、学校に送り出す。夕食の支度を済ませ、出勤する。帰宅後のあわただしい宿題チェックと、お便り読みと、夕食の準備。

 

そんなもどかしくも忙しい日々を過ごしていると、3年前の不倫相手Yへの不貞裁判の訴状草案がT弁護士から届いた。

『訴状』

そんなもの、人生で初めて目にした。

10ページに及ぶ草案に目を通した。

私へのヒアリングと、証拠の私の日記をもとにした訴状は「いかにあなたの身勝手な不貞行為により私が母として、女としての尊厳を傷つけられたか。そして私たち夫婦が結果として今回離婚に向かっている状況になり、私と子供たちがどんな窮地に立たされているか、」をドラマチックに、壮絶に書き上げてあった。

 

いつもの慌ただしい日、子供たちとの幸せな3人暮らし、早く片づけて東京脱出を願う日々に届いた、衝撃的な内容であった。ーすべて私の身に起こったことなのに、こうしてドラマチックに綴られると、なんだか、当の本人が驚いてしまって。私、こんな目に合ってきたのか・・・・と。ー

 

自分が決めた裁判、ひどく傷ついた出来事は少しずつ「過去」になりつつある日々のなかで、まるで他人事のように訴状を読み、初めて聞いた話のように衝撃を受けた。

 

その日の夜、私は嫌な夢を見た。

早漏夫がなぜか我が家に顔をだしていた。一言二言言葉を交わしていると、インターフォンが。のぞき窓を除くと、ブルーのジャケットを着た、30代位の鬼の形相をした女がのぞき窓越しに、怒鳴り散らしているのだ。女の歯並びは悪かった、顔も思い出せるくらいはっきりと。-今の不倫相手なんだな、と夢の中の私は考えた。

今の不倫相手が、自宅に顔を出した早漏夫への嫉妬に狂い、我が家に押し掛けてきた夢だった。

 

Yとはもう不倫は続いていない。妻子を捨てて出て行った早漏夫の本当の逃げ出した理由は、新たな『不倫』と確信しているが、証拠がない。

 

目覚めて、『改めて、興信所を使おうか、』と、半日悩んだ。

でも、生活がわからない今、何日もしっぽが出るまで頼むことはできない。お金がもったいない。だから、今の不倫女に、熨斗をつけて早漏夫をくれてやる、と改めて決めた。もう、いい。

でもこの夢の意味は不思議だった。訴状を読んだから、そんな夢を見たんだろう。

 

日曜日、あいこが、朝6時半からの、団地の広場で行われるラジオ体操に珍しく出かけた。年寄りが集まって雨の日も風の日も、冬の寒い時も毎日行われる自主的なラジオ体操。そこに、ひそかにみいなとあいこが「おばあちゃん」と慕う、同じ棟に住む、住井さんという60代の女性がいる。

その住井さんから、ラジオ体操のあと、「川辺まで散歩に行こう」と誘われた、というあいこ。外は大雨だというのに?

不思議に思ったが、長靴に履き替えさせた。

そして30分ほどで戻ってきた笑顔のあいこのちいさな右手には、コスモスが握られていた。住井さんは、あいこを、コスモスが咲き誇る川辺に連れて行ってくれたのだ。

 

久しぶりに顔を出したあいこを、日曜日だったのもあって、雨だったけれど、散歩に連れ出してくれたのだろう。連れて行ってもらった先に広がるコスモスに、あいこも喜んだことだろう。

赤いコスモスの花言葉は「愛情・調和」

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住井さんは、我が家の事情を知らない。無条件に、みいなとあいこを温かいまなざしで見てくれる。

私は、この住井さんの温かい愛情と、「おばあちゃん」としてのやさしさに、ただ、感動した。他人の子に・・・・

7歳のちいさなあいこの胸に残った大きな傷は、「おばあちゃん」の愛情で少しは癒え

ただろうか…。

春前にはここを出ていく。その際には、住井さんに打ち明けよう。

受け止めてもらいたい、のではなく、こんな窮地にあった我が家の娘たちをかわいがってくださって、ありがとうございます・・・と心から感謝を伝えたい。

東京で一人ぼっちで戦う私。他人のやさしさに、涙した。

告白

10月の3連休がやってきた。

今年はあいこの七五三。毎回、お参りと、写真館での記念撮影をしていた我が家。

3人家族になっても、変わらず同じようにしよう、と、近所の神社の予約をした。

写真館は、あいにくどこに電話をしても、+ヘア、メイク料をチャージされるので、広島に帰ってから改めて写真館に行くことにした。

 

連休の中日は、キンモクセイが香る爽やかな秋晴れとなった。

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おめでとう、あいこ。みいなの時は、「つぎはあいこの七五三があるから」なんて思っていたのが2年前・・・。この七五三が終わったら、もう成人式までお祝い事はないんだな、と思うと寂しいような。

 

その神社の近所に住む、みいなが生後間もなくからの付き合いの友達夫婦の自宅を、お参り帰りに訪ねた。

GWに一緒に家族ぐるみでハイキングに行ったのが最後だった、それ以降、ママから何度か、連絡を貰っていたが、私は誰にも会うことができず、その訳も話せず、のらりくらりと会う予定を立てずにいた。

 

七五三の予定を決めた数日後、ママから連絡が来ていた。「そろそろ集まりたいね」

私は決心した。

 

受け止めてもらえるかわからない、あまりにも重く、逆に苦しめてしまうかもしれない。でも、家族ぐるみで付き合いが長い彼ら、ママパパ友としては一番長い。広島在住中も子供服のお古を送ってくれるなど気にかけてくれ、I夫婦の一人娘の七五三には広島の厳島神社まで来てくれたのだ。

 

I夫婦に事情を話そう。

 

広島の数名の仲良し家族には、LINEで何が起こったか話してある。だって彼らは私たち家族にとって、楽しい仲間、夫婦としてやり直すにあたってとても大切なかかわりを持ってくれた仲間、東京へ引っ越すとき、壮行会までしてくれた仲間だったから・・・

でも私は東京の、この近所の友達に、誰一人、事情を話すことが出来なかった。このまま、誰にも言わず、ひっそりと広島に転居するつもりだった。

 

家族ぐるみでいろんな話をしてきたI夫婦。

 

あいこの七五三の着物を着替え、お茶をしているとき、切り出した。

「聞いてほしいんだけど・・・パパが出て行った。」

 

考えてみれば、電話では親友に話してはいたが、面と向かって、人にこのことを話すのは初めてだった。動悸がする。

 

I夫婦の反応は、「衝撃」だった。

ママは私の悲しみを想像し涙してくれ、パパは怒りで震えていた。

 

パパに尋ねた。

「同じ父親として、どう思うか?」

「・・・信じられない・・・どんな事情があるにせよ、こんな風に逃げるなんて・・・もう自分勝手すぎて信じられない・・・ちなつさんが怖い?それが理由?そんなの、端から聞いても、『それは本当の理由じゃないだろう』ってわかる。」

パパは続けた。

「広島で再会したとき、広島にはいい仕事がない、とか、転職理由とか聞いたけど、なんていうのかな、その「転職理由」に「危うさ」を感じていたんだ・・・。理由がちゃんとしていないっていうか、「自分がその仕事に合わせていく」んじゃなくて、ずっと「会社が自分のしたいことに合わせてくれる」そんな会社を求めているんだな、って。そんな都合のいいこと無いのに。」

 

Iパパの言うとおりだ。

どの会社に転職しても、1年足らずで不満、「年収アップを目指す」とか、ていの良いことを言い転職を続けていた。どこにっても、不満ばかりで転職を繰り返す。「俺は海外大卒、世界を相手に仕事をするんだ」というプライドばかり高い見栄っ張り。

家族の大黒柱、父親としての自覚に、この夫の仕事に対する態度から「危うさ」を感じ取っていた。

 

I夫婦は、ランチだけで帰る予定だった私たちを夕食までごちそうしてくれた。

 

迷惑だったかもしれない、彼らだってつらいことがあるはず。話すことで、嫌な思いをさせてしまったことは否定できない。それでも、face to faceで私を受け止め、これからの未来が少しでも輝かしいものになるよう願ってくれている。

 

帰り道、あいこが言った。

「ママ良かったね、東京にも味方ができたね♬」

七五三を済ませたあいこは7歳、小学一年生。こんな幼き心に2017年という年は「傷つき」と同時に「思いやる心」をも与えた。

 

感謝、ありがとう、I夫婦。

どうか、I夫婦はいつまでも仲良く。私は二人の所に、これからも会いに行きたい。

 

 

3か月ぶりの面会交流と久しい涙

2か月も待った第一回調停。

円満調停、婚姻費増額調停、子の面会交流調停

3つの論点の中で、婚費と面会についてが急を要すると判断され、論点となった。

しかし夫は婚費の根本となる月収を証明するものを、わざと昨年度、広島にいたときの「給料が下がっても広島に骨をうずめる」とうそぶいた会社の、年収が低い源泉徴収票しか出してこなかった。今と年収が300万も違うのに!

何度も給料をごまかし、今年2度のボーナスも隠していたんだ、そのくらいの姑息な手は想定内だった。

婚費については夫の証明が不足ということで持ち越しとなり、結局決まったのはみいなとあいことの面会交流の日程だけだった。

 

某日、10時から15時の5時間。

 

みいなとあいこはとても楽しみにしていた。

数日前から、「もうすぐパパに会える。」とワクワクしてた。

裁判所のガイドラインで、「笑顔で送り出すように」とあったので、努めていたが、

前日から、ここのところ思い返してもいなかった『私の結婚生活』をリアルに思い出し、心は沈み込んでいた。子供に恵まれたからこそ、家族でこの子達を育てていくんだ、という思いで、夫婦の危機を乗り越えてきたんだけどな・・・尽くしてきたんだけどな・・・無邪気にパパに会える喜びを表す娘たちを見て、パパとママがそろった家族、パパとつい数か月前まで、週末は出かけて、楽しい時を過ごしていたのに、なぜ今『パパに会える!』と喜ぶのか・・・?と、『パパ』を放棄した夫を慕う娘たちに対し、複雑な気持ちになった。こどもたちだって、パパと以前のように過ごしたいのに・・・。こんな当たり前の親子の関係を、突然別居というかたちで断ち切り、離婚を求めている夫が憎らしくて、まるで出て行った後の数週間の時の気持ちが戻ってきたようになり、笑顔が消え、涙ぐんだ。鎮静剤を飲んでもおさまらないひどい頭痛が、私の気持ちを察したかのように同時に襲った。

 

秋晴れがきれいな某日、みいなとあいこは、私に時折気を使いながらも、はじける笑顔で面会に出かけて行った。

 

私は買い物もかねて、秋晴れの気持ちの良い外を買いものを兼ねて散歩した。

そうでもなければ、昨夜の思いを引きずったまま、もやもやしてしまいそうだったから。

それでも、買った雑誌にふと、「2005年」をいう文字を見つけ、「私たちが結婚した年だな。」と心に引っかかってしまい、そこからまた「なぜ?」「子どもたちをパパとママがそろった家庭で幸せに育てたかっただけだったのに・・・」「夫と、一生添い遂げるつもりで結婚したんだけどな。」との気持ちが芋づる式のように出てきて、私はみいなとあいこが外出している間苦しんだ。これは、執着心なのだろうか?数か月前の、直後の夫への執着ではなく、「私の結婚」への執着なのだろう。夫への気持ちはとうに整理がついていたが、自分が守りたかった「結婚生活」については、自分の目指していたゴールだけが虚しくきらきらと心に残っているのだ。

 

約束の時間通りに帰ってきたみいなとあいこは、私の予想通り、上野動物園につれていってもらっていた。

 

 

「楽しかった」という二人。でも、どんな話をしたのか尋ねても、「忘れた」という。

私に気を使っているのだ。

 

様子を話したがらない二人と、私の間には、壁ができてしまっていた。

 

しばらく話をしたあと、みいなが言った。

「みいな、やっぱりパパと住みたい。」

これは、考えようによっては、

①ママとではなく、パパと暮らしたい。

②パパに家に戻ってきてほしい。

 

①だととらえ、動揺した私。「それはどういうこと?ママと離れてもいいから、パパと暮らしたいってこと?パパ、あなたたちを置いて勝手に出て行ったのに?」

 

これは、「パパとママ、どっちが好き?」と究極の選択を迫っているようなものだった。離婚時に、「どっちと暮らしたい?」と。

まだ7歳と8歳。素直にパパを愛する感情が溢れる年齢。ひどい目にあわされても、パパに会うと、愛がチャージされるのか。それはそれで、面会交流の意味がある。

 

子どもたちにこんな質問をするなんて・・・しまった、と思った。

 

「私も一緒に行きたかったな」とぽつりとみいなにこぼした。

これは、夫への執着ではなく、「結婚『家族』生活」への執着なのだ。

 

私はこれからシングルマザーとして、私の目指していた『家族』とは別の目標を立て、みいなとあいこを愛情たっぷりに、「新たな家族像」として歩んでいきたい。いや、そうすることが、夫との結婚生活の『亡霊』を断ち切る唯一の手段なのだ。

 

同時に、この面会交流が、子供たちを混乱させるのではないかと疑問を持ち始めた。

「パパ、帰ってきて」と伝えたみいな。

パパは、「うーん」とうなっていた、と。

調停で、「離婚の意志は固い」と言っていたのだから、「無理。パパ離婚したいから」と言えよ。

 

父親の愛情が引き続き注がれることは大切だ。

だけど、どんな理由があるにせよ(不倫が理由だとか、夫が言うように私が「怖い」からそうするしかなかったとか)、何の話し合いもせず、子供たちにも当日朝嘘をつき、置手紙だけで出て行ったパパは、きちんと話しあいをして離婚となった巷のパパとは違う。

みいなとあいこは、心が成長してくる10代に、自分の経験したパパの裏切りを、どう理解するだろうか。

 

それを想像すると、私は得も言われぬ悲しさに襲われる。できることなら、パパを憎む気持ちを無くしてあげたい。でも、娘たちが受けた悲しみと現実は、私は隠すことができない。

出て行った日の夕方、廊下から何も知らず、きゃっきゃと元気に帰宅してきたみいなとあいこ。部屋に一人、みいなとあいこ宛ての置手紙を隠すことも出来ず、ただ、これから悲しむ愛しい娘たちを悲しみから救うことができなかったあの時の、『悲しませたくないけれど、どうしようもない』無力感と同じ気持ちになった。

 

娘たちを人生最大に悲しませた夫は、自分の都合のいい時だけ「パパ面」してみいなとあいこに会う。

シングルファミリーの仲間たち

調停の頻度は月に1度。

それはそれは長―い時間。頭で理解できている、「もう離婚しかない」の思いに

心がだいぶついてこれるようになった9月末。

 

現状、そして気持ちはすでにシングルマザー。毎日広島へ帰ることを妄想し、

みいなとあいこと3人で、『広島に帰ったらねぇ~〇〇とキャンプとか~♬』

習い事はあそこに行こうとか、週末は何をしようかとか・・・想像だけが膨らんでいた。

広島生活の想像をより現実的に!その思いで、広島の「シングルマザーの仲間」を探すべく、出会ったのが、『ゆかいな仲間たち』だった。

メンバーは8人。

大学生の息子さんがいるマザー

5人の子持ちのマザー

小学生2人のファーザー

乳児を育てるマザー

小中学生2人のマザー

3人の子持ちファーザー

などなど・・・

 

現在東京にいる私は、皆にお目にかかったことがない。

時々、他愛もない話題でもりあがったり、新しいメンバーが増えて挨拶したり。

皆、修羅場を乗り越えた、3年目、4年目の先輩シングルたち。私は時々、友達に言えない自分の苦しい胸の内や、不安な気持ちをLINEに書き込んでは、励ましてもらっていた。

グループのみんなは、私の今いる次元をはるか超えた、まだ見ぬ感情的『自由』の世界にいることがわかった。

私はある日聞いてみた。

「皆さん、離婚して幸せですか・・・?」と。

 

シングルファーザーは

『保育園の支度とか、親同士の付き合い方とか何もわからないままスタートしたけれど、会社の理解もあり、生活にも慣れ、今は最高に幸せですよ!』

と。

『元夫を殺したいほど憎んだり、事業で失敗したり、「なんで私だけ?」と考えたけれど、生きている限り、元気なのが一番幸せだと今は思う。』

『ちなつさんも今は苦しいけれど、先では幸せだと思う日が必ずきますよ👍👍』

と、励ましてくれた。

 

まだ見ぬLINEグループのシングルファミリーに、慰めてもらい、その優しさに涙し、まだまだ不安定な気持ちを奮い立たせている。

早く、私もみんなを励ます立場に行きたい。

その時、私はこのブログを読み返して、『ちなつ、大丈夫だよ、今、最高に幸せだよ。』と、書き込むことを妄想している。

 

大丈夫、絶対に実現するから。

 

児童手当を私の口座に その④

私の住む〇区の『子ども未来課子育て給付係』

子どもを守りたい別居された母は、子ども手当受給資格がないという。名前も白々しい。

I弁護士の渾身の上申書と、早漏夫が娘たちに残していった「置手紙」のコピーを付けて、申請締め切り直前に送付した。

 

〇区給付係から、I弁護士に電話があった。

あれほどの資料を提出しながら、

明らかに母親である私に監護権があり、夫(父親)は子供の監護を遺棄しているにもかかわらず

なお、「母親が離婚の意志を父親に示している」ことが、認定の基準だ、と固執していた。

I弁護士は、相当担当者とやりあってくれた。「おたくの顧問弁護士に聞いてみてくださいよ!」と喧嘩してくれた。

 

一日たった夕方、連絡が入った。

 

10月分より、いでぐちちなつさんを、受給者認定します。

 

とのこと。

 

帰宅途中の地下鉄の中で、泣いた。

 

3 か月にわたり、いろんなことで毎日涙したこと。

生活をしていくため、自分で引っ越しをし、家賃を一年分前払いし、生活費を送ってこない嫌がらせに涙し、送ってきたと思ったら、建て替えた光熱費だ、と不正請求されたこと。

自分の不倫を隠すために、私を「愛着障害」だ、とモラハラで責め続けたこと。

夫が突如家族を捨てて出て行った?!・・・ どんなに苦しくても、誰にも話せない、惨めな出来事。

それでも、雇った弁護士とはいえ、私たちの生活のために、一生懸命戦ってくれたI弁護士。

職場で、融通をきかせてくれる社長。

職場で、10年前に夫の不倫でシングルマザーとなった同年代の同僚女性。

涙は、『感謝の涙』となって、溢れた。

 

私はこれからもっと大きなものを勝ち取るために戦うのだ。

この子ども手当の受給者認定は・・・当然の権利。

なのに、こんなに行政に苦しめられるなんて思いもしなかった。

 

やっと一つクリアした。