シングルファミリーの仲間たち
調停の頻度は月に1度。
それはそれは長―い時間。頭で理解できている、「もう離婚しかない」の思いに
心がだいぶついてこれるようになった9月末。
現状、そして気持ちはすでにシングルマザー。毎日広島へ帰ることを妄想し、
みいなとあいこと3人で、『広島に帰ったらねぇ~〇〇とキャンプとか~♬』
習い事はあそこに行こうとか、週末は何をしようかとか・・・想像だけが膨らんでいた。
広島生活の想像をより現実的に!その思いで、広島の「シングルマザーの仲間」を探すべく、出会ったのが、『ゆかいな仲間たち』だった。
メンバーは8人。
大学生の息子さんがいるマザー
5人の子持ちのマザー
小学生2人のファーザー
乳児を育てるマザー
小中学生2人のマザー
3人の子持ちファーザー
などなど・・・
現在東京にいる私は、皆にお目にかかったことがない。
時々、他愛もない話題でもりあがったり、新しいメンバーが増えて挨拶したり。
皆、修羅場を乗り越えた、3年目、4年目の先輩シングルたち。私は時々、友達に言えない自分の苦しい胸の内や、不安な気持ちをLINEに書き込んでは、励ましてもらっていた。
グループのみんなは、私の今いる次元をはるか超えた、まだ見ぬ感情的『自由』の世界にいることがわかった。
私はある日聞いてみた。
「皆さん、離婚して幸せですか・・・?」と。
シングルファーザーは
『保育園の支度とか、親同士の付き合い方とか何もわからないままスタートしたけれど、会社の理解もあり、生活にも慣れ、今は最高に幸せですよ!』
と。
『元夫を殺したいほど憎んだり、事業で失敗したり、「なんで私だけ?」と考えたけれど、生きている限り、元気なのが一番幸せだと今は思う。』
『ちなつさんも今は苦しいけれど、先では幸せだと思う日が必ずきますよ👍👍』
と、励ましてくれた。
まだ見ぬLINEグループのシングルファミリーに、慰めてもらい、その優しさに涙し、まだまだ不安定な気持ちを奮い立たせている。
早く、私もみんなを励ます立場に行きたい。
その時、私はこのブログを読み返して、『ちなつ、大丈夫だよ、今、最高に幸せだよ。』と、書き込むことを妄想している。
大丈夫、絶対に実現するから。
児童手当を私の口座に その④
私の住む〇区の『子ども未来課子育て給付係』
子どもを守りたい別居された母は、子ども手当受給資格がないという。名前も白々しい。
I弁護士の渾身の上申書と、早漏夫が娘たちに残していった「置手紙」のコピーを付けて、申請締め切り直前に送付した。
〇区給付係から、I弁護士に電話があった。
あれほどの資料を提出しながら、
明らかに母親である私に監護権があり、夫(父親)は子供の監護を遺棄しているにもかかわらず
なお、「母親が離婚の意志を父親に示している」ことが、認定の基準だ、と固執していた。
I弁護士は、相当担当者とやりあってくれた。「おたくの顧問弁護士に聞いてみてくださいよ!」と喧嘩してくれた。
一日たった夕方、連絡が入った。
10月分より、いでぐちちなつさんを、受給者認定します。
とのこと。
帰宅途中の地下鉄の中で、泣いた。
3 か月にわたり、いろんなことで毎日涙したこと。
生活をしていくため、自分で引っ越しをし、家賃を一年分前払いし、生活費を送ってこない嫌がらせに涙し、送ってきたと思ったら、建て替えた光熱費だ、と不正請求されたこと。
自分の不倫を隠すために、私を「愛着障害」だ、とモラハラで責め続けたこと。
夫が突如家族を捨てて出て行った?!・・・ どんなに苦しくても、誰にも話せない、惨めな出来事。
それでも、雇った弁護士とはいえ、私たちの生活のために、一生懸命戦ってくれたI弁護士。
職場で、融通をきかせてくれる社長。
職場で、10年前に夫の不倫でシングルマザーとなった同年代の同僚女性。
涙は、『感謝の涙』となって、溢れた。
私はこれからもっと大きなものを勝ち取るために戦うのだ。
この子ども手当の受給者認定は・・・当然の権利。
なのに、こんなに行政に苦しめられるなんて思いもしなかった。
やっと一つクリアした。
裁判を起こす
早漏夫との’円満’調停期日を控えたある日、最後の打ち合わせにI弁護士を訪ねた。
もう、いろんなことが複雑に絡み合っている案件になってしまった。
①私の住む〇区は、子供手当の振込口座変更につき、非人道的な対応をしていることが判明、なんとか私に子供手当を受け取る資格が認定されるよう、I弁護士渾身の上申書を書いてくれた。
②3年前の不倫女Yが不倫を認めた稚拙な「謝罪文」。
この案件は、世話になっていた広島の弁護士から、I弁護士に引き継がれた。
この不倫女Yへの対応につき、弁護士同士で検討した結果、今後の私の離婚裁判と絡めると、結論が遅くなることを鑑み、このYを相手取り、別で裁判を起こすことになった。
「不貞行為に基づく損害賠償請求事件」
裁判...私も「ドキッ」とする言葉だ。
不倫女Yは、今『婚約中』♡
新たな弁護士費用として、約30万必要だ。
調停と会わせてすでに60万。もう、今の不倫を暴く調査費用も惜しい。
でも、ぜったい取り返す!
その後、ベテランの女性T弁護士に交代し、不倫発覚の経緯をヒアリング。
今回は、不倫女Yが事実を認めているので「事実かどうか」は争っていない。
「私がどれだけ傷ついたか」が争点だ。
3年前の出来事だが、その日【7月2日】を思い出し、発覚した経緯、夫とのやり取りを話し始めた。
今だって苦しいが、3年前のその日の夫とのやり取りの会話や、しぐさを説明しているうちに、そのころの苦しみ、その時の感情がよみがえってきて、私の鼓動は早くなり、胸が苦しくなった・・・・
3年前、夫に言われ続けたモラハラのセリフの数々。
「おれは子供を連れて、近々東京へ帰る。ちなつもその心づもりでいろ」
と言われ、頭が真っ白になったこと。
愛しい娘と離れ離れになるなんて、片腕をもがれるより苦しいこと。
泣きながら、「お願いだから子供は置いていって…私はもう年齢的に子供が産めない…」と訴えた夜…
不倫に関するヒアリングは、T弁護士が訴状を書くのに必要な作業だ。
「私がどれだけ傷ついたか」を話すことは…
つらい作業だ。
不倫発覚前の、人格否定(モラハラ)と、事実発覚のショックと、その後のフラッシュバック…夫婦で2年以上通ったカウンセリング…
ここ半年~6月30日に夫が私たちを捨てて出て行って以降の辛さは相当だが、
3年前だって、私、とてもつらくて、可哀相だったな・・・と改めて思った。
この不倫以外にも、何度も夫には給料をごまかされ、嘘をつかれ、わがままを聞いてきたな。。。すべては、せっかく結婚したんだもの、夫とは一生添い遂げたい・・・子供たちがパパとママがそろった家庭で育ってほしかったから・・・
私が感情的で、時にイライラして気を遣わせたとか、子供をしかり飛ばしていたとか、そりゃ私は完ぺきではなかったよ、広島に一緒に移住してもらった、でも、夫のしたことと・・・・「おあいこ」だろうか。
私は十分努力してきた。
家族でいたかったから。
ちなつ、もう十分だよ、
出て行ってくれてよかったよ。
私には命がある!心の変化‐ 出発期
夏が終わり、朝晩に秋の風を感じる季節のころ、第一回調停をまだかまだか、と緊張して待っていた。
早く終わらせて、広島に帰りたい。
毎晩どこかの神へ祈り、本当に祈り、外を歩けば広島を歩いていると妄想し、広島の賃貸マンションサイトを毎晩見ては、不動産屋とやり取りし・・・イメージをどんどん膨らませて、そこへむかって心をワクワクさせていた。
その時の私の心のよりどころは、力強い味方の弁護士先生、T人事部長の言葉、二人の愛しい娘たち、そして、今年も快進撃を続ける
広島カープだった。
夫が嫌がらせで生活費を送ってこなかったが、私は娘たちが習いたいと言っていた近所の短期のスイミングスクールに申し込んだ。
それでも、予定していなかった学校の諸費やもろもろ、出ていくものも多く、本音では焦っていた。
子供たちとの合言葉は、『節約』
こんな目にあわされて、悔しくて悔しくて、夫とは意地でも別れない!婚姻費用を貰い続け、何年でも別居生活をしてやるのが、あいつが一番嫌なことだろう、と考えていた。離婚なんてしたら、思うツボだと。
でも、もう、一日でも早く縁を切りたいと思い始めた。
離婚カウンセラーの岡野あつこさんによると
第4段階 出発期
未練や後悔は完全に消えたわけではないが、過去を振り返ってばかりの日々から脱却。元気を取り戻し未来に目を向けることができるようになる。具体的な新しい人生について前向きに考えられるようになり、リセットすることで今よりももっと明るい幸せな未来が待っているはずといった希望さえ持てるようになる。
私は確実にこの期に入ってきた。
私の今後の人生への妄想は、具体的で、希望に満ちていた。
小学校はO小学校、広島では珍しく、私服だな、みいなのバレエとダンスはここに通おう、あいこの将棋はここ、バツイチのグループに入ろう、みいなが今年楽しんでいる消防少年団はないから、ガールスカウトに入ろう、等…そして、5年以内には、中古マンションをこの辺りに買おう…想像は具体的で楽しい。
もう悔しさで泣くことは無くなったが、あるきっかけで知った歌に心奪われた。
前から好きだった椎名林檎
奪われるもの、壊されるもの、買えるものは形あるもの。私たちが価値があると思いこんでいるもの、そう思い込まされているもの。それらに価値はない。くだらないもの。形あるものに価値はない。奪われても壊されても嘆く必要はない。くれてやれ。マンションの窓から外へ全部放り投げてしまえ。命がすべて。生きていること、それで十分。
私は夫にすべてを奪われて、こうして東京に連れてこられて、身ぐるみはがされた状態で娘たちと放り出された。
だから悔しい、許せない、ここにさえ来なければ、来なければ…
でも、この曲を聴いてハッとした。そう、
私には命がある。まだ生きている。
私から何もかも奪った夫、不倫をし、私をモラハラで陥れ、生活費も入れずいやがらせをし、「子供に会いたい」という。
醜男だし、早漏だし、嘘つきだし、外面だけよくて情がないし。
出て行ってくれてよかった。
どこかの女にくれてやる。
熨斗を付けて、くれてやる。
その代わり、かわいそうなみいなとあいこの将来のために、私は戦うよ。
最強のダブル弁護士コンビと、10年後を見据えて戦うよ。
違う意味で、私はこの曲を聞くたび涙した。
同時にいろんな偶然を思い出し、見えないどこかの神に感謝した。
- 父の遺産相続の金額を夫に伝えようとした夜、どうしても伝える気になれなかったこと、
- 夫の様子が変で、時効が迫る3年前の不倫女Yに慰謝料請求したこと。結果、大きな証拠を得た。
- 人生最悪の日、偶然にも早く家に帰り、夫の逃亡と鉢合わせしたこと。 『よく見なさい、これがあなたが夫としていた人の本性だよ、』と。
私に第六感はない。
この偶然を認めることで、私は自分に起きた出来事を意味のあるものとして受け入れ始めた。こんな思いしたくない、ただ、夫婦仲良くしたかった、それだけ、家族を守りたかった、私にも欠点はあったけれど、私は尽くした。それで十分。
だから、このドラマのようなon goingのつらい出来事を乗り越えたら、きっと幸せがまっているはず。
これが、私の今の楽しい妄想につながっている。
絶対に実現させる。
児童手当を私の口座に その③ー見捨てる行政
月1万円の児童手当。
これの受取を私の口座にするため、夫が出て行ってすぐ行政に掛け合った。
私の住む役場の条件はこうだ。
①子供の健康保険証を母の元につける。
②別居中の父親が、「監護権放棄の申請」を出す。
①は、会社に事実を言えないがゆえに夫が手続きを途中で放棄した。
※父母、収入の多いほうに子供の健康保険が紐づくという一般的なルールがある。
そのため、私は夫の会社の人事の協力を得て、例外処置として、①は完了した。
②こちらも夫は①と同じく、途中で手続きを止めたため、申請をしてくれていない。
ならどうするか?
役場はこう言った。
離婚を前提に協議しているとわかる書類の提出。
つまり、今申し立てている「円満調停」ではダメ。
しかも、私が夫に対し、「離婚の意思を伝えていること」
を証明しなければならない。
これから円満調停の初回を迎えるというのに、「離婚の意思」は伝えられるはずもない。
こちらも作戦というものがある。
モラハラし私を悪者に陥れ
不倫の事実を隠し
一方的に出て行った早漏夫と離婚しか考えられない。
でも、今は伝える段階ではない。
でもそれだと、私には受給資格がない。
なぜ?
心を夫に八つ裂きにされながらも、捨てられた子供たちを必死に守ろうとする母は
児童手当の受給資格がない。
話し合いもせず、父親の責任を一方的に放棄して逃げた夫には、いまだに児童手当の受給資格がある。
なぜ?
身も心もズタズタにされ、行政も必死に生きる私と娘たちを助けてはくれない。
どんな状況であれ。
逃げた夫の離婚の意思で十分ではないか。
離婚したいから逃げたんだろう。子供の面倒も見たくないから逃げたんだ。
それなのに、行政は「妻の離婚の意思」を明らかにしろという。
家族円満の再構築を願う捨てられた妻が離婚の意思を明らかにしない限り
受給者資格は得られない。
絶対にオカシイ。
誰のための児童手当?
逃げた夫はこれからも児童手当を受け取るのだ。
生活費いやがらせと通知書‐パートⅡ
生活費(別居中の婚姻費用)について、13万円と主張した夫に対し、円満調停とあわせて婚姻費用増額調停を申し立てている。大ウソつき夫の言う年収なんぞ信頼できず、もっともらってもいいはずだ。その審判をしてもらうための調停があと2週間後に迫っていたある日、またしても、弁護士さえも、神経を疑うような主張のFAXが届いた。
調停期日前にもかかわらず、勝手に婚姻費用を12万円と決めつけ、そこから、夫の口座から引き落とされた光熱費関連を差し引き、残金を9月分生活費として振り込むからよろしく、というものだった。払うのはいいが、
調停前に、勝手に12万と決めるな!それを話し合うための調停なのに!
〇月分ガス代、〇月分水道代、〇月分ネット代・・・・
6つの項目のうち3つが、すでに口座変更が済み、私の口座から引き落とされているものだった!しかもそのうち1つは、自分が7月に「共同預金からおろしました」と言っていたものだ。
光熱費の2重取り
期日前のこのような主張はルール違反である!
I弁護士もT弁護士も、「こんな主張してくる弁護士、見たことない!!」とあきれて怒りを通り越し、ひとこと、
「こんなことして、自分のクライアントが不利になること、わからないかなー。下手だなー!」
といった。
調停当日、子の面会調停についても話し合うのに、こんなルール違反をし、一方的に通知してくれば、子の監護者である私は恨みつらみしか残らず、ますます「子供を会わせたくない」となる。
子の福祉、といえども、私には『こんな嫌がらせを私たちにしてくる夫に、娘たちを会わせる必要があるのか??』と思い始めていた。
そりゃそうだ、弁護士が言う通り、こんなことして、むこうに不利なことばかりして、何がしたいんだ?と。
非情に怒りを感じたが、あえて冷静に、すべてを証拠として調停に持ち込むこととした。
ルール違反だ、とクライアントである夫にアドバイスできない言いなりの弁護士。
これをすると、心象が悪くなることを夫にアドバイスできない言いなりの弁護士。
その弁護士は、宣伝に多くのお金をかけている大手の派手な弁護士事務所の2年目若い弁護士だ。
弁護士の良しあしで、判決は大きく変わるというが、すでにかなり不利なことをした夫にぴったりの…弁護士だった。いや、勝ち目のほとんどない、こんな不利なクライアントを持つ弁護士がかわいそうにも思えてきた。
その夜、私の心を読んだかのようにみいなとあいこが言った。
「ねえ、ママ、広島帰ったらさ、前の職場に戻るんだよね?会社の近くにアパート借りるんだよね?私達さ、もう4年生と2年生になっているからさ、お留守番できるし、ちょっと遅くまでお仕事しても、大丈夫だよ。一杯働いてお金貰ったほうがいいもんね!」
ずっと保育園のお迎えがあったから、仕事では残業せず、自分を犠牲にして家族に尽くしてきた私…
「残業してもいいよ、お金貰ったほうがいいもんね・・・」
私は、手取りの約半分を家賃に持っていかれるという厳しい生活費の中、こどもたちと『節約』を合言葉に、慎ましく、でも、にぎやかに暮らしていた。
大丈夫、わたしには子供たちがいる。
3人でお山
夫がが突如姿を消して2か月が過ぎた。
まだまだ「今日パパは?」と言われるのが嫌で、近所、保育園の友達ママには顔を合わせられないでいる。夫は、『イクメン、よき父、夫』を演じるのが上手かったから。 私もその演技に騙されていたくらいだから。
誰ともLINEをせず、お誘いがあっても「またね」と。
小学校の土曜授業参観も、みいなとあいこにはかわいそうだけれど、行かなかった。 いや、行けなかった。
私たち夫婦は、出かけるのが好きだった。子供たちを必ず公園や、レジャー連れて行っていた。特に夫が子供たちが赤ちゃんの頃から連れて行っていたのは、山だった。
あかちゃんを背負って登れる背負子にお座りができるようになったころからみいなとあいこをのせ、神奈川や埼玉、広島でもハイキングに出かけた。子供たちを背負って登ると、いろんな人が声をかけてくれる、『大変だけど、いいね、頑張ってね』
夫はそれが誇らしかった。
【夫が愛用していた背負子でご機嫌♬2歳のあいこ】
みいなとあいこがしっかり歩けるようになってからは、歩ける距離を長くし、大人でも疲れた!というような山でも連れていき、子供たちと楽しみながら健脚を鍛えた。
正月登山、春山、GW、紅葉…みいなもあいこも、季節ごとに「パパにお山に連れて行ってもらう」のを楽しみにしていた。私も夫の趣味に合わせ、早朝からの弁当作りなど、この家族のイベントを大切にしていた。
【家族を捨てて出ていく2か月前に出かけた最後の山。この時、これが家族で出かける最後だとわかっていたのは夫だけだった。】
夫は勝手に家族を捨てて出て行った。理由が私の人格に問題があるとか、愛着障害だとか、本当は不倫しているのを隠すためだとか、広島から出るとき私のすべてを奪って丸裸にして裏切ったとか・・・もう、どうでもよくなっていた。理由は何でもいい、
私自身、何一つ間違ったことはしていない。その事実だけで十分だった。
だけど、夫がいたから経験できたことも多い。その一つが「お山」だ。
夫が消えたのは事実。もうどうしようもできない。でも、私はそれによって子供たちの将来が閉ざされたり、世界が狭まるのは絶対に避けたかった。そうなってしまうと、逃げたもん勝ち、捨てられて惨め、になってしまうから。
みいなとあいこには、今まで考えていた通りの色々な経験をさせてあげたい。
私は夫が残していった関東のハイキングの本を片手に、もう片手にスマホをもち、埼玉県飯能市のとある駅にみいなとあいこと降り立った。
山など一人で登ったこともない。
でも、連れて行ってやりたい、それだけだった。
2時間ほどなだらかな丘陵を歩き、展望台、そして、お目当てのムーミンをイメージしたこども園に到着。きのこの家と称した子供の遊び場で、夢中になって他の子供たちと遊ぶみいなとあいこ。お弁当を後回しにして遊んだ。
おにぎりを食べ、別の建物に入るとき、みいなが言った。
『ママ、3人で楽しいね♪』
嬉しかった。
パパがいなくても、ママが慣れない山に頑張って連れて行ったこと、わかってくれたのかな。
帰りも、『楽しかったね』とみいなとあいこと口々に言いながら帰った。
その日の夜、久しぶりに泣いた。
なんの涙だろう。